南関東から中京、阪神、瀬戸内を経て北九州に至る連続的な産業・経済先進地帯をいう。この呼称は、1960年(昭和35)池田内閣の所得倍増計画に基づく産業基盤強化のための公共投資重点配分地域を決定するため、翌年8月経済審議会産業立地小委員会によってたてられた太平洋ベルト地帯構想によっている。ただし、地理的には瀬戸内、北九州のように太平洋岸とはいえないものを含み、地域の呼称としてあまり適切とは思われない。むしろ日本主軸地帯とでもすべきであろう。東海道メガロポリスはこの一部である。この構想では、自由主義経済体制のもとでは工業立地は企業が本来自由に決定すべきであるが、産業基盤の整備は当面この地帯に重点的に推進すべきであるとされた。その後、地域間格差是正が強く主張され、新産業都市建設促進法(1962)、新全国総合開発計画(新全総、1969)、三全総(1977)、四全総(1987)、五全総(1998)などが次々と打ち出され、このベルト地帯を特別に取り上げた整備などは問題にされなくなったが、この地帯の先進性・重要性が失われたわけではない。
[高野史男]
『安芸皎一他編『図説日本国土大系5 日本の工業と工業地帯』(1967・誠文堂新光社)』▽『石橋俊治・御園喜博著『太平洋ベルト地帯〈東海地域〉を中心として』(1975・東京大学出版会)』▽『阿部和俊・山崎朗著『日本の地域構造と地域政策』(1993・ユニテ)』
南関東から西方の東海地方,近畿地方中央部,山陽地方を経て九州地方北部へ連なる帯状の地域の通称。東京23区などを含み,全国の人口・産業・経済活動の7~8割が集中している。日本の工業地域としては第2次大戦前から京浜,中京,阪神,北九州の四大工業地帯が成立していたが,戦後,経済審議会産業立地小委員会で新しい工業基地の形成を検討した際に提案された〈太平洋ベルト地帯構想〉は,第1次全国総合開発計画(1962策定)においてはとり上げられないこととなった。しかし高度経済成長期に重化学工業の比重が高まり,新しい石油工業基地等が京葉,東海,瀬戸内の3地域で形成された結果,計画意図に反して工業と都市が太平洋・瀬戸内海沿岸にベルト状に連続するようになった。1962年以後,新産業都市計画の基盤整備などの進展によって工業の地方分散は進んだが,東海道・山陽新幹線の開通や,東名・名神両高速道路の開通,激しい巨大都市化の進展にも支えられて,太平洋ベルト地帯は近代日本の象徴的地域として認識されるようになった。いわば工業化,都市化を推し進めた近代日本が結果として国土利用上つくりあげた工業と都市の一大集積地域で,北米東岸,西欧ライン・ルール地域とも対比されている。
太平洋ベルト地帯の範囲は,第2次全国総合開発計画(1969策定)の中央地帯ないしはその後の第1国土軸と呼ばれる地域にほぼ匹敵するが,一部に深刻な過密や公害の問題が発生し,抑制政策の対象となっており,今後はそのリニューアルが課題となるとともに,国土政策上からは,この地帯以外の地域の国土利用を新時代の要請を投影してつくろうという国土軸論の原点ともなった。
執筆者:今野 修平
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