改訂新版 世界大百科事典 「瀬戸内工業地域」の意味・わかりやすい解説
瀬戸内工業地域 (せとうちこうぎょうちいき)
瀬戸内海の沿岸に分布する工業地域の総称。阪神・北九州の工業地帯とともに,太平洋ベルト地帯の一環として岡山・広島・山口3県を考えるが,香川・愛媛2県を含むこともある。近世,大坂市場に直結する内海,古く操船の伝統を含む木造船の建造などから綿業・塩業・採銅や仏壇・縫針・団扇などがあった。明治初期に民営の紡績所,官営広島紡績所ができ,大坂資本の近代紡績が内海へ進出した。これに対抗する地元資本倉敷紡績から発展した機械紡績は88年愛媛・山口県に拡大し,大正末の化学繊維工業は昭和10年代まで地域の主要産業となった。1873-1907年の広島鎮台,陸軍糧秣支厰(牛肉缶詰),兵器支厰,被服支厰,1886年の呉鎮守府などの軍需産業も第2次産業の発達の先駆となり,1920年日本製鋼・帝人が広島へ進出した。31年マツダの3輪トラック製造が始まり,戦後は乗用車へと発展した。第2次大戦中,軍需産業の強化,長崎の造船業が広島へ工場疎開するなどして,電機・航空機(水島)などが立地した。幕末~明治初期に山口炭が塩業向けに増産されるに伴い,宇部村は石炭の産業化(セメントや肥料)を広げ,1921年村から一気に市制をしき,42年宇部興産が誕生した。海軍の徳山燃料厰・光工厰(呉から),陸軍の岩国燃料厰などは精油・化学・石油コンビナートに変身し,山口県と広島県は国勢の西・南進の架け橋となった。第2次大戦終戦時までの工業生産では,トップの座は繊維衣服中心の岡山県から軍需産業の山口,広島両県へと移った。
昭和30年代,政府の計画造船で内海の工業も活発化し中小造船所は小型鋼船やカーフェリーへ,大型造船所もその後の合理化の中で陸海上の工作機械や架橋工事にも進出した。他方,石油化学コンビナートが岩国大竹,新居浜,水島に形成され,水島・福山・呉などに鉄鋼一貫化による製鉄所が新しく立地した。川之江・伊予三島両市(現,四国中央市)では製紙業の近代化が進み,岡山県南(水島)・新居浜東予が新産業都市や備後工特地域(福山)に指定された。1993年5県の製造業出荷額等は26.1兆円(45年の全国比4.4%が8.4%へ)で,輸送機械を含む機械関係34.6%,化学工業・石油製品18%,金属製品15.8%,食料品6.9%,繊維工業や衣服繊維製品4.7%のほか武器類もある。なお,当地域内四国2県の山陽3県比は2.3対7.7で,45年当時の2対8と大差はない。瀬戸内海国立公園(管理事務所岡山)との重合が課題で,通産省工業技術院の瀬戸内海大型水理模型(1973。呉)による潮流と水質の研究,3本の本四連絡橋架橋(1999年までに3本とも開通)などが将来につながる。なお,横浜や神戸と並ぶ特定重要港湾は広島,徳山・下松,下関である。
執筆者:東 皓傳
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報