1990年代初頭のバブル経済崩壊以降、日本の経済成長が停滞したおよそ20年間をさすことば。1991年(平成3)から2010年(平成22)まで、日本の名目経済成長率は年0.5%であり、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなどの年3~4%台を大きく下回る。この20年間、雇用面では、年平均の有効求人倍率が1.0倍を上回ったのは4年間のみで、就職氷河期やフリーターということばに象徴されるように若年雇用の喪失や非正規雇用労働者の増加が続いた。消費者物価指数(生鮮食品を除く)の上昇率が1.0%を超えたのは5年間のみで、とくに2000年度以降、消費者物価の下落が顕著となり、経済のデフレーション傾向が強まった。日本銀行はほぼ一貫して金融緩和に取り組み、この結果、普通預金金利がほぼゼロという状況が続いた。政府は景気刺激のため1990年代に公共投資中心の財政出動を繰り返し、日本政府の2012年の債務残高は国内総生産(GDP)の2.1倍に達し、日本は赤字大国となった。日経平均株価は1989年末に最高値(3万8915円87銭)をつけて以降、20年間低迷を続け、地価(六大都市平均)はピーク時の4分の1以下に下落した。「失われた二十年」で株式時価総額が400兆円弱、不動産は1100兆円以上毀損(きそん)したと試算されている。なお、日本の「失われた十年」ということばは、1999年発行の書籍『ゼミナール日本経済入門』(日本経済新聞社刊)に初めて使用され、その後も低迷から脱することができない日本の経済状況も「失われた二十年」とよばれるようになった。
「失われた二十年」に陥った原因については諸説ありはっきりしないが、前半と後半とではあげられる原因の性質が大きく異なる。1990年代はバブル経済の崩壊で生じた不良債権の処理を先延ばししたことなど、2000年代はデフレ経済への効果的な対策がとられなかったことなどがあげられることが多い。この間、2000年代初頭のITバブル、2002年から6年ほど続いた「いざなみ景気」を経験しながらも、2008年のリーマン・ショックによる世界不況で、日本経済はふたたびマイナス成長に陥った。さらには、冷戦終結による経済のグローバル化、新興国の台頭、インターネットの普及などのIT革命、人口減少・高齢化の進展という経済・社会構造の大きな変化に直面しながら、日本経済は市場開放や規制緩和などを怠った。これにより生産性の長期低迷、慢性的な需要不足に陥ったことが「失われた二十年」を招いたとの分析もある。また対決型政治が政局の混乱や不安定な政権運営を招き、政府・与党がポピュリズムに訴える政策に走りがちで、国民の痛みを伴う税と社会保障の改革(増税と社会保障の負担増)を先送りしたことが経済停滞を招いたとの指摘もある。
[編集部]
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