朝日日本歴史人物事典 「奈河亀輔(初代)」の解説
奈河亀輔(初代)
江戸中期,上方の歌舞伎狂言作者。奈河系の祖。別号永長堂,遊泥居。奈良出身で,遊蕩の末に作者となり,奈良と河内を漂泊したことから奈河と称したという。明和8(1771)年に大坂中の芝居で初代並木正三の下に作者として名を連ね,2年後正三が没してからは立作者となり,以降おもに中の芝居で筆を執った。のち京都から江戸へ招かれたものか,天明8(1788)年江戸森田座の番付には「京下り」とある。寛政2(1790)年正月刊行の評判記によれば再び大坂中の芝居に属しているが番付にはみえず,以後の活動は不詳,あるいはこのころに没したか。有力な金主がついていたこともあって一座を采配する力を持ち,番付に「総支配人」として名が記されさえした。当時流布していた実録や講釈の方面に積極的に題材を求め,歌舞伎狂言の構成法である「四情四番続の法則」(喜怒哀楽の4つの情にもとづくという口明け・中入り・世話場・大切の四段で狂言を構成する)を発展完成させることにより,各々の役者の見せ場を確保したうえで,緻密で複雑ながら筋の通った壮大な時代物作品を書き得て「中古歌舞伎作者の祖」とされた。代表作は「伊賀越乗掛合羽」「加々見山廓写本」など。狂言作者が自作の台帳を役者たちに読み聞かせる本読みにも長じ,それを「歌舞伎講釈」として披露した。大坂の料亭に四季の趣向による庭を作ってみせた,唐の珍品を収集して開帳を催した,などの逸話が残る。遺言により葬送は唐の道具で行われたという。奇人であった。名跡は3代まである。2代目を初代奈河篤助が一時期名乗った。<参考文献>西沢一鳳『伝奇作書』(『新群書類従』1,3巻),上野典子「奈河亀輔時代物の構成」(『国語国文』1990年2月号)
(上野典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報