奈良田村(読み)ならだむら

日本歴史地名大系 「奈良田村」の解説

奈良田村
ならだむら

[現在地名]早川町奈良田

湯島ゆじま村の北に位置する。村域のほとんどは一五〇〇メートル前後から二五〇〇メートルを超える山塊で、西の駿河との境にはあいノ岳・西農鳥にしのうとり岳・農島岳など三〇〇〇メートル級の山が連なる。「甲斐国志」古跡部に「異本曾我物語ニ大草郷奈良田村・芦倉あしくら村ナドハ工藤荘司ガ知行所トアリ」とみえ、「早川ノ水源能呂川ト云アリ、残簡風土記ニ巨麻郡西限木賊河トアル所ニテ其西ハ白峯諸山ヲ隔テ信州伊奈郡大草郷ナリ、因之本州ニテモ称大草郷タリト見ユ」と記すが、史料でこの記述を確認することはできない。当地は温泉湧出地として知られ、戦国期に河内かわうち領を治めた穴山信友湯治のために訪れており、その時の奉公に対して名主・地下人らの棟別役が免除されている(年未詳七月三日「穴山信友判物」深沢輝一家文書)


奈良田村
ならだむら

[現在地名]基山町大字長野ながの字奈良田

秋光あきみつ川西岸の平地に立地し、長野村が間に分け入って南北に分れた形となっている。

村は古代条里制の一条に位置し、中世には奈良田庄の域内となる。承久二年(一二二〇)検校祐清(カ)譲状(石清水田中家文書)に「奈良田庄肥前国弥勒寺領」とある。近世は対馬藩領。

氏神は奈良田八幡宮であったが、永吉ながよし村(現鳥栖とす市)と共通で、社地は永吉村にあり、社人は社地に居住するが人高は奈良田村に入っていた(基養精細録)


奈良田村
ならだむら

[現在地名]庄内町野畑のばたけ 奈良田など

中淵なかぶち村の東にある。正保郷帳に村名がみえ田高五〇石余・畑高三八石余、阿南あなん庄に所属。日損所と注記される。領主の変遷は中淵村に同じで、元禄一〇年(一六九七)の府内領郷帳(府内藩記録)では九四石余。奥郷野畑組に属した(同記録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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