奉直戦争(読み)ほうちょくせんそう

精選版 日本国語大辞典 「奉直戦争」の意味・読み・例文・類語

ほうちょく‐せんそう‥センサウ【奉直戦争】

  1. 中国、民国時代に張作霖の率いる奉天派呉佩孚の率いる直隷派の間で行なわれた二度軍閥戦争直隷派は、一九二二年の第一次戦では勝利を収めたが、二四年の第二次戦では大敗し、崩壊。これにより奉天派は北京に進出した。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「奉直戦争」の意味・わかりやすい解説

奉直戦争
ほうちょくせんそう

1920年代の中国の軍閥戦争。東三省(清(しん)から中華民国にかけて、山海関以東の、遼寧(りょうねい/リヤオニン)、吉林(きつりん/チーリン)、黒竜江の三省からなる、いわゆる「満州」の地)で日本に培養されつつ勢力を得た奉天軍閥張作霖(ちょうさくりん/チャンツオリン)は、安直戦争(安徽(あんき)派と直隷(ちょくれい)派の戦争)のあと、直隷派を支持するとみせて山海関南部に進入、イギリス、アメリカ勢力を背後にもつ直隷派と対立した。22年4月京漢線沿線を中心に両派は戦ったが(第一次奉直戦争)、奉天派は一撃を受け東三省に退いた。しかし24年北京(ペキン)政権の座にある直隷派にふたたび大掛りな軍閥戦争を挑んだ(第二次奉直戦争)。こんどは直隷派の馮玉祥(ふうぎょくしょう/フォンユイシヤン)の寝返りもあって、奉天派は北京進出に成功した。その後、複雑な離合集散を経て、張作霖は、日本の後押しもあって26年北京に入り、翌年北京で元帥府を組織したが、28年6月、北伐軍に駆逐され、張は汽車で東三省に逃げ帰る途中、日本軍の仕掛けた爆弾で爆死させられた。

安藤彦太郎

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「奉直戦争」の解説

奉直戦争(ほうちょくせんそう)

1922年と24年,中国の奉天派(張作霖(ちょうさくりん))と直隷派(呉佩孚(ごはいふ))との間で行われた軍閥戦争。

①〔第1次〕1920年の安直戦争以後,北京では奉直連合政権が成立するが,奉直の争いはしだいに激化し,22年4~5月両軍は馬廠(ばしょう),固安,長辛店(ちょうしんてん)で交戦,6日間の戦争で直隷派が勝った。敗走する奉天軍は日本軍事顧問の出動で立ち直ることができた。

②〔第2次〕1924年9月,奉天軍が熱河(ねっか)に進んだとき,直隷派の馮玉祥(ふうぎょくしょう)の内応があり,11月以後,呉佩孚は楊村で大敗し下野した。北京には段祺瑞(だんきずい)を執政とする安徽(あんき)・奉天・国民軍連合政権が成立する。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奉直戦争」の意味・わかりやすい解説

奉直戦争
ほうちょくせんそう
Feng-zhi; Fêng-chih

中国,1922年および 24年の2次にわたって戦われた軍閥間の戦争。日本をうしろだてとする張作霖の奉天 (現瀋陽地方) 派軍閥と,英米に援助された馮国璋 (ふうこくしょう) ,曹こん呉佩孚 (ごはいふ) らの直隷 (現河北地方) 派軍閥の間で,北京政権の覇を争って戦われた。 22年4月の第1次戦は,京漢線の沿線が戦場であったが,奉天派の敗北に終り,直隷派は北京での勢威を維持した。しかし,24年9月の第2次戦は,直隷派の馮玉祥が奉天派に寝返ってクーデターを行なったため,直隷派は北京を追われた。これは張作霖に北京進出への道を開いた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「奉直戦争」の意味・わかりやすい解説

奉直戦争【ほうちょくせんそう】

1922年と1924年に勃発(ぼっぱつ)した中国の奉天派軍閥張作霖と直隷(ちょくれい)派軍閥呉佩孚(ごはいふ)との戦争。1920年に成立した奉直連合政権内における対立が原因。第1次は英米支援下の呉が勝利。第2次は日本の支援下に再起した張が,呉側の馮玉祥の内応もあって勝利。その結果,呉の下野,張の北京進出となった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「奉直戦争」の解説

奉直戦争
ほうちょくせんそう

1922年と24年の2回,中国の軍閥である呉佩孚 (ごはいふ) の直隷 (ちよくれい) 派と,張作霖 (ちようさくりん) の奉天派が行った戦い
第1次では直隷派が勝ったが,第2次では馮玉祥 (ふうぎよくしよう) が奉天派についたため,直隷派は敗れて北京を追われ,奉天派は段祺瑞 (だんきずい) を擁し,臨時政府を組織した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の奉直戦争の言及

【中華民国】より

…段祺瑞のひきいる安徽派は20年7月の安直戦争に敗れて政権を失い,直隷派とその同盟軍奉天派が政権の座についた。ついで22年4月,直・奉両派が争って直隷派が勝利したが(第1次奉直戦争),やがて24年9月,奉天派がふたたび戦争をしかけて直隷派の支配をくつがえした(第2次奉直戦争)。奉天派の勝利は日本の後援,安徽派および南方勢力との同盟あってのことであったが,とりわけ勝利の決定的要素となったのは直隷派の驍将(ぎようしよう)馮玉祥(ふうぎよくしよう)の寝返りであった。…

※「奉直戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android