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奉直戦争 ほうちょくせんそうFeng-zhi; Fêng-chih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奉直戦争
ほうちょくせんそう
Feng-zhi; Fêng-chih

中国,1922年および 24年の2次にわたって戦われた軍閥間の戦争。日本をうしろだてとする張作霖の奉天 (現瀋陽地方) 派軍閥と,英米に援助された馮国璋 (ふうこくしょう) ,曹こん呉佩孚 (ごはいふ) らの直隷 (現河北地方) 派軍閥の間で,北京政権の覇を争って戦われた。 22年4月の第1次戦は,京漢線の沿線が戦場であったが,奉天派の敗北に終り,直隷派は北京での勢威を維持した。しかし,24年9月の第2次戦は,直隷派の馮玉祥が奉天派に寝返ってクーデターを行なったため,直隷派は北京を追われた。これは張作霖に北京進出への道を開いた。

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百科事典マイペディアの解説

奉直戦争【ほうちょくせんそう】

1922年と1924年に勃発(ぼっぱつ)した中国の奉天派軍閥張作霖と直隷(ちょくれい)派軍閥呉佩孚(ごはいふ)との戦争。1920年に成立した奉直連合政権内における対立が原因。

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大辞林 第三版の解説

ほうちょくせんそう【奉直戦争】

1920年代の中国の軍閥戦争。日本が後押しした奉天派軍閥張作霖とイギリスの支持した呉佩孚ごはいふ・馮玉祥ふうぎよくしようら直隷派軍閥との間で、1922、24年の二度にわたって戦われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奉直戦争
ほうちょくせんそう

1920年代の中国の軍閥戦争。東三省(清(しん)から中華民国にかけて、山海関以東の、遼寧(りょうねい/リヤオニン)、吉林(きつりん/チーリン)、黒竜江の三省からなる、いわゆる「満州」の地)で日本に培養されつつ勢力を得た奉天軍閥張作霖(ちょうさくりん/チャンツオリン)は、安直戦争(安徽(あんき)派と直隷(ちょくれい)派の戦争)のあと、直隷派を支持するとみせて山海関南部に進入、イギリス、アメリカ勢力を背後にもつ直隷派と対立した。22年4月京漢線沿線を中心に両派は戦ったが(第一次奉直戦争)、奉天派は一撃を受け東三省に退いた。しかし24年北京(ペキン)政権の座にある直隷派にふたたび大掛りな軍閥戦争を挑んだ(第二次奉直戦争)。こんどは直隷派の馮玉祥(ふうぎょくしょう/フォンユイシヤン)の寝返りもあって、奉天派は北京進出に成功した。その後、複雑な離合集散を経て、張作霖は、日本の後押しもあって26年北京に入り、翌年北京で元帥府を組織したが、28年6月、北伐軍に駆逐され、張は汽車で東三省に逃げ帰る途中、日本軍の仕掛けた爆弾で爆死させられた。[安藤彦太郎]

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世界大百科事典内の奉直戦争の言及

【中華民国】より

…段祺瑞のひきいる安徽派は20年7月の安直戦争に敗れて政権を失い,直隷派とその同盟軍奉天派が政権の座についた。ついで22年4月,直・奉両派が争って直隷派が勝利したが(第1次奉直戦争),やがて24年9月,奉天派がふたたび戦争をしかけて直隷派の支配をくつがえした(第2次奉直戦争)。奉天派の勝利は日本の後援,安徽派および南方勢力との同盟あってのことであったが,とりわけ勝利の決定的要素となったのは直隷派の驍将(ぎようしよう)馮玉祥(ふうぎよくしよう)の寝返りであった。…

※「奉直戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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