女性雑誌(読み)じょせいざっし

改訂新版 世界大百科事典 「女性雑誌」の意味・わかりやすい解説

女性雑誌 (じょせいざっし)

女性を読者層に想定して発行される雑誌。女学生向け,未婚女性向け,主婦向けなど,読者の年齢やライフステージによって分類されうるものが多いが,最近では,有職女性向け,自立志向型女性向けなど,読者のライフスタイルのちがいに応じた雑誌も出てきている。ただ,伝統的に〈男の世界〉とみなされてきた政治,経済,科学,職業生活などに正面から言及することはなく,あくまでも美容,ファッション恋愛,結婚,家庭生活といった,伝統的に〈女の世界〉とされてきた領域守備範囲とする点でほぼ共通している。

 日本における女性雑誌は,以下の四つの系譜に分類することができる。第1は,知識層をおもな読者とする女性評論誌の系譜である。日本で最初の本格的な女性雑誌は1885年創刊の《女学雑誌》である。《女学雑誌》は,キリスト教思想を背景に,女権伸張,女子教育の普及,近代家族制度の移植などを主張する啓蒙雑誌として出発し,明治20年代のオピニオン・ジャーナリズム一翼をになった。当時発行された他領域の雑誌と同様,《女学雑誌》は,編集人としてこの雑誌を主宰した近藤賢三,その後を継いだ巌本善治の思想表現活動の一環として発行されたのであって,営利主眼とするものではなかった。さらに明治時代末より福田英子による《世界婦人》(1907),平塚らいてうらによる《青鞜》(1911)など,女性自身の手になる雑誌が発行され,反響を呼んだ。こうしたオピニオン中心の女性雑誌は,日本の女性雑誌史の稜線をなしており,大正期に創刊された《婦人公論》(1916),《女性改造》(1922),昭和期の《女人芸術》(1928)などもその系譜を継いでいる。とくに《婦人公論》は,第2次世界大戦前から戦後にかけて,女性をめぐる諸問題の論争に舞台を提供してきたが,1960年代に性格を変え,これに代わって,評論機能をになっているのは,70年代初頭のウーマン・リブ運動に触発された群小のミニコミ誌である。

 第2の系譜は,いわゆる〈婦人雑誌〉を含む主婦向けの生活実用雑誌で,1917年主婦の友社が創刊した《主婦之友》,20年に講談社から発刊された《婦人俱楽部》の2誌を主軸にして,長いあいだ女性雑誌界の主流をなしてきた。その特色は,家庭生活の全ジャンルを網羅する実用主義にあった。通俗的でわかりやすく書かれていることから多くの読者を獲得したが,内容面では良妻賢母を強調し,抑圧的な女性の地位を肯定するものであった。大正期から増加しはじめた都市の新中間層の主婦に広がっていったが,この層はある程度の時間的,金銭的余裕があり,かつ新しい都市の生活様式を学ぶ必要があったからである。なお部数を伸ばすこととなった一つのきっかけは,料理,裁縫,礼儀作法,占いなどの実用記事を特集した別冊付録が人気を集めたことであった。38年の内務省警保局の〈婦人雑誌ニ対スル取締方針〉をはじめとした統制強化により,婦人雑誌は戦時色を強め,戦争協力的な記事が増加していった。だが敗戦とともにその枠ははずれ,46年《主婦と生活》,47年《婦人生活》が創刊され,再び生活実用雑誌は活況を呈してきた(なお戦前からの《主婦の友》《婦人俱楽部》とあわせて四大婦人誌といわれている)。都市化の進行とともに増大した新中間階層の核家族の主婦を中心に,アメリカ式の新しい家事技術を伝えたが,しゅうとめに代わる家事技術の伝達メディアとしての役割も果たしていた。婦人誌は50年代後半より大型化し,より視覚的な方向に進んでいった。また視覚的な情報を強調した生活実用雑誌として《家庭画報》(1958),《ミセス》(1961)なども創刊された。これらの雑誌は,戦前に比べ一定の変化はしたが,主婦の役割とみなされているすべての領域の実用記事を中心とし,妻,母,主婦という固定された性役割の遂行者としての心がまえを説く点では,基本的には変わっていないといえるだろう。

 第3の系譜は,50年代後半に登場した女性週刊誌である。57年の《週刊女性》の創刊を皮切りに,58年に《女性自身》,63年には《女性セブン》《ヤングレディ》が発刊され,女性週刊誌ブームが到来した。大衆の私的な欲望や私生活に焦点を当てる出版社系週刊誌の一翼として,女性週刊誌も開発されたのである。第2次大戦後の女子の中等教育就学率の増加を背景に,高校卒業後結婚までの数年間を女性事務員として職場ですごす傾向が生まれたが,このいわゆるOLたちを主たる購読者として,女性週刊誌は伸張した。そして芸能界のスターたちの結婚・離婚話や,小説,漫画を満載しつつ,恋愛や男女交際のテクニックを提供し,娯楽的機能のみならず,一種の結婚入門書としての機能をも果たしたのである。1959年の皇太子成婚を機に,皇室記事を一つの柱として飛躍的に発展し,おりからのマイホーム中心の風潮に拍車をかけた。

 女性雑誌の第4の系譜は,70年代に出現したファッションを大きな柱とした雑誌群である。70年の《アンアン》,71年の《ノンノ》をはじめとして,《コスモポリタン》《モア》《ウィズ》と次々と,新しい雑誌が創刊された。これらの雑誌は,従来の女性雑誌にはない特色をもっている。まず第1は,横文字文化のはんらんである。誌名に横文字やかたかなを採用しているのみならず,雑誌の誌面全体に,英語やフランス語,そしてパリやロンドン,あるいはニューヨークの情報があふれ,ヨーロッパやアメリカの生活文化に価値の基準をおきながら,記事やグラビアを組んでいる点である。第2の特色は,〈読む雑誌〉というよりは〈見る雑誌〉の色彩が強いことである。新しい雑誌群はいずれも上質紙を用いて豪華なカラーグラビアで誌面を展開し,広告に多くのスペースをさいている。第3の特色は,生活実用雑誌や女性週刊誌の中心的テーマである家事・育児の技術や,芸能関係記事に力点をおかず,美容とファッションを主とした構成をとっている点である。〈男は外で女は内〉という伝統的な性に基づく役割観が流動化するなかで,女性も一定の収入を得て自活し,生活を楽しむことが可能になってきた。こうした事態のなかで,新たな女性像を模索する若い女性たちの多くが,これら70年以降に創刊された女性雑誌群を選んだといえよう。

 現在,女性雑誌は雑誌ジャーナリズムのなかで大きな位置を占めている。発行部数もそうだが,とくに広告において大きな役割を果たしている。このことは,依然として,女性が現代社会でおもに消費者として存在していることの反映であり,産業界からの戦略目標とされていることを示している。しかし一方で,従来の男女の性に基づく役割や家庭像は動揺しており,主婦向け雑誌でも離婚の記事が掲載されるほどである。したがって,一つの極に産業界からの要請があるものの,生き方をも含めた現代の女性の要求にいかにこたえるかが女性雑誌の課題である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の女性雑誌の言及

【雑誌】より

…しかし,日華事変から第2次世界大戦にかけて,内容や資材についての統制が強化され,その過程で時局を論ずることを主とする雑誌には〈総合雑誌〉という日本独特の官製呼称が与えられた。
[大衆雑誌と女性雑誌の出現]
 産業革命と都市化の進行によって,安い読物をもとめる新しい読者層が生まれ,大部数を競う娯楽雑誌が登場した。イギリスでは《ペニー・マガジンPenny Magazine》(1832‐46),《ペニー・サイクロペディアPenny Cyclopaedia》(1833)などの競争に続いて《チェンバーズ・ジャーナルChamber’s Journal》が1845年に発行部数9万部に達した。…

※「女性雑誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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