孝恩寺(読み)こうおんじ

精選版 日本国語大辞典 「孝恩寺」の意味・読み・例文・類語

こうおん‐じ カウオン‥【孝恩寺】

大阪府貝塚市木積(こつみ)にある浄土宗の寺。山号は慈眼山。行基が建立した四十九院一つと伝えられる。観音堂は俗に釘無堂とよばれ、国宝通称は木積(こづみ)観音堂。

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日本歴史地名大系 「孝恩寺」の解説

孝恩寺
こうおんじ

[現在地名]貝塚市木積

浄土宗、山号慈眼山、本尊阿弥陀如来。慈眼山大悲院とも号する。開基・創立は不詳、元禄七年(一六九四)再建。当寺と隣接し廃寺となっていた観音寺の観音堂を大正三年(一九一四)合併した。観音堂は鎌倉時代の建築で国宝に指定され、釘が使用されていないことから釘無くぎなし堂と通称される。観音寺は聖武天皇の勅願により神亀三年(七二六)行基が創建したと伝え、桓武天皇が寺領を下賜して隆盛したと伝える。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「孝恩寺」の意味・わかりやすい解説

孝恩寺
こうおんじ

大阪府貝塚市木積(こづみ)にある浄土宗の寺。慈眼山(じげんざん)大悲院と号し、木積観音堂(こづみかんのんどう)とよばれる。寺伝によれば726年(神亀3)聖武(しょうむ)天皇の勅により行基(ぎょうき)の創建したものという。その後の沿革は不詳。方五間寄棟造(よせむねづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶ)きの観音堂(国宝)は豊臣(とよとみ)秀吉根来(ねごろ)攻めで唯一焼け残った堂であるが、鎌倉時代末期のものと推定される。和様を基調として禅宗様の混入がみられ、釘(くぎ)が用いられていないので俗に釘無堂とよばれる。板絵着色の天部像のほか、本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)像をはじめ、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)立像釈迦(しゃか)如来坐像(ざぞう)など全部で18点19体の彫刻が国の重要文化財に指定されている。これらはすべて平安前期から中期にかけて製作されたものとみられる。

[森 章司]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孝恩寺」の意味・わかりやすい解説

孝恩寺
こうおんじ

大阪府貝塚市にある浄土宗の寺。本堂の観音堂は通称,「木積の釘無堂」と呼ばれる。大伽藍であったが天正 13 (1585) 年戦火で焼失し,観音堂のみ残る。行基の創立というが明らかでない。観音堂は禅宗様を取入れた折衷様で,鎌倉時代末期建造の国宝。大正初年に近くの孝恩寺と併合。当寺内には平安時代前期から中期にかけての仏像が多い。

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デジタル大辞泉プラス 「孝恩寺」の解説

孝恩寺

大阪府貝塚市にある浄土宗の寺院。726年創建と伝わる。鎌倉時代後期に建築された国宝の観音堂は、釘を使用せずに建てられ、釘無堂とも呼ばれる。

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