石田英一郎(読み)イシダエイイチロウ

デジタル大辞泉 「石田英一郎」の意味・読み・例文・類語

いしだ‐えいいちろう〔‐エイイチラウ〕【石田英一郎】

[1903~1968]文化人類学者。大阪の生まれ。東大教授。日本の文化人類学基礎を築いた。比較民俗学研究にも寄与。著「河童駒引考かっぱこまびきこう」「桃太郎の母」など。

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精選版 日本国語大辞典 「石田英一郎」の意味・読み・例文・類語

いしだ‐えいいちろう【石田英一郎】

  1. 文化人類学者。大阪生まれ。東京大学教授、多摩美術大学学長などを歴任日本民族、文化の比較民族学的研究に寄与した。著に「河童駒引考」「桃太郎の母」「文化人類学序説」など。明治三六~昭和四三年(一九〇三‐六八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石田英一郎」の意味・わかりやすい解説

石田英一郎
いしだえいいちろう
(1903―1968)

文化人類学者。第二次世界大戦後、東京大学文化人類学教室の開設をはじめ、東北大学、埼玉大学、日本民族学会などにおいて、文化人類学の研究、教育、普及に尽力、日本の文化人類学発展の基礎固めをした。文化の理論的研究や日本文化論でも多くの業績を残している。男爵石田英吉(1839―1901)の孫として大阪に生まれ、東京府立四中、一高、京都帝国大学(経済学部)に進む。マルクス主義の研究、共産主義者たちへの接近が治安維持法に触れ、6年間(1928~1934)禁錮刑に服した。出所後、ウィーン大学留学、民族学を修め、中国(西北研究所)で終戦を迎え、帰国。東京大学教授(1951~1964)として、同大学の文化人類学の専門コースの創設と運営に従事、のち東北大学、埼玉大学を経て1968年4月多摩美術大学学長、同年11月死去。1967年に『文化人類学ノート』を著す。著書はほかに『河童駒引考』(1948)、『桃太郎の母』(1956)などがある。

[大貫良夫 2018年11月19日]

『『石田英一郎全集』全8巻(1970~1972/新装版・1977、1978・筑摩書房)』『山口昌男編著『石田英一郎』(『日本民俗文化大系 8』所収・1979・講談社)』

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20世紀日本人名事典 「石田英一郎」の解説

石田 英一郎
イシダ エイイチロウ

昭和期の民族学者,文化人類学者 元・多摩美術大学学長。



生年
明治36(1903)年6月30日

没年
昭和43(1968)年11月9日

出生地
大阪府

学歴〔年〕
京都帝大経済学部〔大正15年〕中退,ウィーン大学哲学部民族学科〔昭和14年〕卒

学位〔年〕
文学博士(東京大学)〔昭和36年〕

経歴
大正13年京都帝大経済学部に入学。14年父・男爵八弥が死去し襲爵するが、思想問題で検束され、15年爵位を返上。昭和2年日本共産党入党。3年3.15事件の際、検挙され、5年の禁固刑を受けるが、非転向を貫く。11年ウィーン大学に留学し民族学を専攻。14年帰国後、帝国学士院東亜諸民族調査委員会嘱託となり、16年南樺太を調査する。19年張家口の蒙古善隣協会西北科学研究所次長。戦後、23年法政大学教授となり、26年東京大学東洋文化研究所教授、27年欧米を旅行、37年東大教養学部教授、38年東北大学文学部附属日本文化研究施設教授。42年定年退官し、埼玉大学教授、43年多摩美術大学学長。また、日本民族学協会理事長、日本民族学会会長を歴任。日本民族学協会の機関誌「民族学研究」の主任編集者として活躍し、わが国の文化人類学の普及と発展に貢献した。著書に「河童駒引考」「桃太郎の母」「文化人類学ノート」「文化人類学序説」「マヤ文明」「日本文化論、「石田英一郎全集」(全8巻 筑摩書房)、「石田英一郎対談集」などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「石田英一郎」の意味・わかりやすい解説

石田英一郎 (いしだえいいちろう)
生没年:1903-68(明治36-昭和43)

文化人類学者。男爵石田八弥の長男として大阪に生まれ,第一高等学校から京都帝国大学経済学部に進みこれを中退。京大時代N.ネフスキーよりロシア語を学び,民族学,民俗学への関心を抱く。共産党の活動に荷担したとして治安維持法により逮捕され(学連事件),1928年より5年間堺刑務所に服役。釈放後柳田国男,岡正雄らを知り,37-39年ウィーン大学に留学,民族学を修めて帰国。44-45年蒙古善隣協会の西北研究所の次長として,所長の今西錦司と共に張家口で研究と調査に従事。第2次大戦後,学会誌《民族学研究》の編集を担当,51-64年東京大学教授をつとめ,同大学の文化人類学教室を開設。その間,文化は構造化された超有機体的実在であり,その構造と変化の法則性は実証的研究を通じて探究されなければならないという姿勢をもって,総合の学としての文化人類学の普及に尽力し,教育方針の確立に大いに功績があった。1958年第1次東大アンデス学術調査団団長をつとめたほか,64年以降東北大学日本文化研究施設の主任,多摩美術大学学長などに就任。主著《河童駒引考》(1948),《文化人類学序説》(1959)。《石田英一郎全集》8巻(1972)がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石田英一郎」の意味・わかりやすい解説

石田英一郎
いしだえいいちろう

[生]1903.6.30. 大阪
[没]1968.11.9. 東京
文化人類学者,民族学者。文学博士。男爵家に生れる。京都帝国大学で N.A.ネフスキーに学ぶが中退。父の没後襲爵するが思想問題で検挙され返上。 1927年共産党に入党,翌 28年三・一五事件で逮捕され,5年間獄中で過す。釈放後 37~39年ウィーン大学民族学科に留学。以後,張家口西北研究所次長,法政大学,東京大学,東北大学,埼玉大学各教授,多摩美術大学学長を歴任。その間,東京大学に文化人類学講座を開設するなど,現地調査に基づく実証的研究よりも,理論的研究を主とし,文化人類学の理論的基礎づくりに尽力した。初め,ウィーン学派の影響下に歴史民族学から出発したが,後年は比較文化論に傾斜した。主著『河童駒引考』 (1948) ,『文化人類学ノート』 (55) ,『日本文化論』 (69) 。

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百科事典マイペディア 「石田英一郎」の意味・わかりやすい解説

石田英一郎【いしだえいいちろう】

人類学者。岡正雄柳田国男らとの交流を経てウィーン大学に留学しシュミットらに師事。自然人類学や先史学をも含んだ総合科学としての人類学を構想。《河童駒引考》や《桃太郎の母》で,ユーラシア諸地域の農耕民による伝承を比較し歴史的系統を考察した。日本での人類学の発展にも寄与。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石田英一郎」の解説

石田英一郎 いしだ-えいいちろう

1903-1968 昭和時代の文化人類学者。
明治36年6月30日生まれ。京都帝大在学中に学連事件で検挙される。のちウィーン大に留学。戦後,法大教授,東大教授などを歴任。わが国の文化人類学の草分けで,比較民族学・日本文化論の研究にも業績をのこした。昭和43年11月9日死去。65歳。大阪出身。著作に「河童駒引(かつぱこまひき)考」「桃太郎の母」など。

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367日誕生日大事典 「石田英一郎」の解説

石田 英一郎 (いしだ えいいちろう)

生年月日:1903年6月30日
昭和時代の民族学者;文化人類学者。多摩美術大学学長;東京大学東洋文化研究所教授
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石田英一郎の言及

【学連事件】より

…この年,小樽高商事件などを契機に早大,東大その他全国の大学などで反軍運動が高まっていたが,12月1日,京都府警の特別高等警察は,同志社大学での軍事教練反対ビラの掲示を口実に同志社大と京大の学生33名を検挙したが,証拠不十分で釈放した。しかし,警察当局は,学連大会の決定が治安維持法,出版法などに違反するとして,翌26年1月から4月にかけて京大はじめ学連の中心メンバーを検挙し,岩田義道,鈴木安蔵,石田英一郎ら京大学生20名ほか村尾薩男,野呂栄太郎,林房雄など計38名を起訴した。これと同時に河上肇,河野密,山本宣治,河上丈太郎らの教授も家宅捜索を受けた。…

【女神】より

… 日本においては,折口信夫による常世国(とこよのくに)のまれびと神来訪とその歓待につくす処女の役割に関する民俗学的研究(《常世及びまれびと》)が,古代における女神信仰の原初的形態を示唆する興味深い資料を提供している。石田英一郎は《桃太郎の母》で,こうした豊かな民俗資料を手がかりに,古代日本人の原初的母神信仰を,古代地中海世界における母権社会との関連の中で比較文化史的に追究している。地母神ビーナス【山形 孝夫】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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