宇津ノ谷峠(読み)ウツノヤトウゲ

デジタル大辞泉 「宇津ノ谷峠」の意味・読み・例文・類語

うつのや‐とうげ〔‐たうげ〕【宇津ノ谷峠】

静岡市宇津の山の峠。東海道丸子まりこ岡部宿との間に位置し、難所として知られた。伊勢物語黙阿弥の「蔦紅葉つたもみじ宇都谷峠」で有名。

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日本歴史地名大系 「宇津ノ谷峠」の解説

宇津ノ谷峠
うつのやとうげ

静岡市宇津ノ谷と岡部おかべ岡部の間にある峠で、標高約一七〇メートル。かつては宇津谷などと書いた。現在、宇津ノ谷峠とよばれるものは大きく分けて三つあるとされる。一つは宇津ノ谷の字会下之段えげのだん岡部町桂島かつらしま谷川やかわを通る山道の峠、二つ目はつたほそ道越の峠、三つ目は江戸時代の東海道の峠である(東海道宇津ノ谷峠)。三つ目の道が中心的ルートになった時期を今川義元の上洛のときに求める考えもあるが(新丸子路考・丸子路の史跡めぐり)、一般的には天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉による小田原攻めのときとされる。ただし秀吉軍は蔦の細道と江戸期のルートに分れて通過したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇津ノ谷峠」の意味・わかりやすい解説

宇津ノ谷峠
うつのやとうげ

静岡市駿河区(するがく)宇津ノ谷と藤枝市(ふじえだし)岡部町(おかべちょう)岡部坂下との間にある峠。標高約170メートル。東海道の丸子宿(まりこしゅく)と岡部宿との間に位置し、難所の一つとして知られた。奈良時代は、海岸部の日本坂を越えるのが普通であったが、急峻(きゅうしゅん)なため、平安中期以後は『伊勢物語(いせものがたり)』の「……宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦楓(つたかえで)は茂り……」に由来する蔦の細道の古道が利用された。現在、頂上付近に在原業平(ありわらのなりひら)がよんだ「駿河なる宇津の山辺(やまべ)のうつつにもゆめにも人にあわぬなりけり」の歌碑がある。近世初期、街道整備により、蔦の細道にかわって、その北の鞍部(あんぶ)が旧東海道の宇津ノ谷峠となり、古道は廃止された。ここは河竹黙阿弥(もくあみ)の世話物の代表作『蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)』の文弥殺し(ぶんやごろし)の舞台となった所。明治以後、1876年(明治9)、1930年(昭和5)、1959年(昭和34)、1998年(平成10)の4回にわたって峠下にトンネルが構築された。1959年完成の新宇津ノ谷トンネルと1998年完成の平成宇津ノ谷トンネルを国道1号が走り、また蔦の細道はハイキングコースとなっている。

北川光雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「宇津ノ谷峠」の意味・わかりやすい解説

宇津ノ谷峠 (うつのやとうげ)

静岡市西部の駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町岡部の坂下(さかのした)との間の峠。宇都谷峠とも書く。標高180m。東海道の丸子(まりこ)宿と岡部宿との間の難所で,この山地の峠越えは,海岸に沿った日本坂,国道1号線のやや南にある〈蔦(つた)の細道〉から宇津ノ谷峠越えへと変遷した。宇津ノ谷トンネルの開通は旧道1876年,旧国道1号線1930年,新国道59年。《伊勢物語》に〈駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり〉と歌われて東海道の名所となり,河竹黙阿弥の《蔦紅葉(つたもみじ)宇都谷峠》の舞台ともなった。名物に厄よけの十団子(とおだんご)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇津ノ谷峠」の意味・わかりやすい解説

宇津ノ谷峠
うつノやとうげ

静岡県中部,静岡市藤枝市の境にある旧東海道の峠。標高 170m。平安時代以来「蔦の細道」にちなむ難所として知られた。国道1号線のトンネルが通じている。

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デジタル大辞泉プラス 「宇津ノ谷峠」の解説

宇津ノ谷峠

静岡県静岡市と同県藤枝市岡部町にまたがる道の駅。国道1号に沿う。

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