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宇都宮三郎 ウツノミヤサブロウ

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デジタル大辞泉の解説

うつのみや‐さぶろう〔‐サブラウ〕【宇都宮三郎】

[1834~1902]明治初期の化学技術者。尾張の人。日本ではじめてセメント製造に成功。炭酸ソーダ耐火れんがの製造、醸造法改良なども指導。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇都宮三郎 うつのみや-さぶろう

1834-1902 幕末-明治時代の化学技術者。
天保(てんぽう)5年10月15日生まれ。砲術,舎密(セイミ)(化学)をまなび,幕府の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)につとめる。維新後,開成学校教官をへて工部省にはいり,セメント,耐火煉瓦(れんが),炭酸ソーダなどの製造に先駆的役割をはたした。明治35年7月23日死去。69歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。本姓は神谷。名は義綱。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宇都宮三郎

没年:明治35.7.23(1902)
生年:天保5.10.15(1834.11.15)
幕末明治期の蘭学者,化学技術者。名古屋生まれ。尾張(名古屋)藩の洋式砲術家上田帯刀の門に入り,砲術の基礎としての化学技術の重要性を認め,化学分析にもとづく大砲合金の製造を指導。宇田川榕庵の『舎密開宗』により舎密(化学)を独習,文久1(1861)年より蕃書調所の精錬方に勤め,「化学」という語を導入して慶応1(1865)年精錬方を化学所と改称した。維新後は開成学校(東大)教官を経て工部省に入り,明治5(1872)年欧米に出張して技術導入をはかり,7年工部省の深川セメント製造所でセメントの製造実験をした。また耐火レンガ製造研究と同製造所設置に尽力し,陶窯業の改良,藍の製造,酒醸造法の改良など明治初期の殖産興業に寄与した。

(山下愛子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

うつのみやさぶろう【宇都宮三郎】

1834~1903) 化学技術者。尾張の人。明治政府のもとで日本最初のセメント製造に成功したほか、耐火煉瓦・炭酸ソーダの製造などを指導。明治初期の化学技術開発に尽力。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇都宮三郎
うつのみやさぶろう
(1834―1902)

江戸末期から明治初期にかけて活躍した化学技術者。天保(てんぽう)5年10月15日、尾張(おわり)藩の100石取武士御本丸番神谷半右衛門義重(よししげ)の三男に生まれ、幼名は銀次郎重行(しげゆき)。16歳のころ、姓を神谷氏の本姓とされる宇都宮に、名を小金次と改め、砲術を西洋流砲術家上田帯刀(たてわき)(1809―1863)に学ぶ。舎密(せいみ)学(化学)を宇田川榕菴(ようあん)の『舎密開宗(かいそう)』により独習、さらに蘭学(らんがく)を尾州石河藩(1万石)の家臣大脇道助に学ぶ。1857年(安政4)脱藩し、俗名を鉱之進、実名を義綱と改め、江戸に上った。洋学者で砲術家でもあった江川太郎左衛門(英龍)や、伊東修理大夫祐帰(すけより)(1855―1894)、勝麟太郎(りんたろう)(海舟(かいしゅう))らの家に出入りし、大砲鋳造のための化学分析や火薬製造、電池づくりなどを行ううちに、1861年(文久元)、勝に推されて幕府の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の精煉(せいれん)方に出役(五人扶持(ぶち))、翌1862年8月、洋書調所教授手伝(十五人扶持)となって化学を研究、教育した。1865年(慶応1)に彼の提案で精煉方は「化学所」と改められた。明治維新後、三郎と改名し、1869年(明治2)、新政府の開成学校中助教、1870年大学大助教となり大阪理学所へ派遣され、1871年文部大助教、1872年工部省に移って1877年工部権(ごんの)大技長、1882年工部大技長となり、1884年退官した。この間、1874年に工部省深川工作分局で日本最初のセメント製造に成功したほか、大阪造幣局にて炭酸ソーダ製造、また製藍(せいらん)法、酒醸法の改良、耐火れんが製造、製鉄、紙やすり製造を指導するなど、日本化学技術開発の先駆をなした。しかしながらセメント降灰などの公害対策には消極的であった。妻は貞(てい)(陸軍薬剤官大沢昌督の長女)。子はなかった。自伝『宇都宮氏経歴談』(交詢(こうじゅん)社編・汲古会発行・1903)がある。親友に柳河春三(やながわしゅんさん)、福沢諭吉らがおり、諭吉の子、一太郎(1863―1938)の妻緯都は宇都宮三郎夫人の実妹。明治35年7月23日、東京にて没。墓は愛知県豊田(とよた)市畝部(うねべ)西の幸福寺にある。[道家達將]

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