精選版 日本国語大辞典 「安田善次郎」の意味・読み・例文・類語
やすだ‐ぜんじろう【安田善次郎】
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(由井常彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
明治・大正期の企業家。安田財閥の創設者。越中国(えっちゅうのくに)(富山県)出身。青年期に江戸に出て、両替商に奉公したのち独立し、1866年(慶応2)日本橋小舟町に安田商店を開業した。慶応年間には古金銀を買い付け、維新後は新政府の紙幣「太政官札(だじょうかんさつ)」を積極的に売買して資本を蓄積した。また公債の大量買い付け、諸官庁や地方の公金の取扱い、業務を拡大し、1876年(明治9)に第三国立銀行を設立し、1880年には安田商店を安田銀行(のちの富士銀行。現、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行)に改組した。創立期の日銀の理事となり、松方正義(まつかたまさよし)の信用をかちとり、不安定だった多数の銀行を買収するかたわら、生命保険、損害保険会社を興し、金融中心の安田財閥を築いた。彼は世間的な寄付を好まなかったので誤解され、神奈川県大磯(おおいそ)の別荘で国粋主義者に刺殺された。晩年には日比谷公会堂(ひびやこうかいどう)、東京大学講堂(安田講堂)など独自の公共事業への構想をもっており、それらは死後に実現した。
[由井常彦]
『矢野龍溪著『安田善次郎』(中公文庫)』
明治・大正期の実業家。無一文から出発し,一代にして財を築きあげ,安田財閥の祖となった。富山藩の下級士族の家に生まれる。父の善悦の代に士族身分を買ったが,善次郎の幼年時代は農業もあわせ営む貧しい生活であった。1858年(安政5),商業で身を立てる志を抱いて江戸へ出,銭両替商に奉公した。62年(文久2)鰹節商に入婿したが,銭投機に失敗して離縁。64年(元治1)に銭両替商安田屋として独立した。66年(慶応2)に日本橋小舟町に移り安田商店と改称したころから古金銀,太政官札,公債の売買によって巨利を博し,一躍財をなした。80年安田銀行を設立,善次郎が中心となり1876年に設立した第三国立銀行とともに,安田の金融事業の柱となった。その後,銀行新設に参加したり,経営の悪化した銀行を引き受けたりして,一大金融網を築きあげ,〈銀行王〉と呼ばれた。安田系企業を統轄するための持株会社として1912年合名会社保善社を設立した。その間,日本銀行理事,農工商高等会議議員,日本興業銀行創立委員などを務めた。また浅野総一郎,雨宮敬次郎ら実業家の事業を援助した。晩年には日比谷公会堂,東京帝国大学講堂(安田講堂)の寄付や,東京市政調査会の後援など,公共的事業も行った。21年9月,大磯の別荘において暴漢朝日平吾に刺殺された。
執筆者:浅井 良夫
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1838.10.9~1921.9.28
明治・大正期の実業家。安田財閥の祖。越中国生れ。江戸に出て両替商に奉公,1864年(元治元)他の商売も兼営する両替店安田屋を開業,古貨幣・太政官札・公債などの取引,官公預金などで蓄財した。76年(明治9)第三銀行の設立に参加,80年安田商店をもとに安田銀行を開業した。第百三十銀行など多くの銀行の救済や設立にかかわり,系列銀行として銀行網を形成する一方,生命保険・損害保険業にも進出し安田財閥の基礎を築いた。1921年(大正10)大磯の別荘で国粋主義団体のメンバー朝日平吾に暗殺された。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…四大財閥の一つ。明治・大正期の実業家安田善次郎が一代で築きあげた銀行,保険など金融業を中心とした財閥。 1864年(元治1)に安田善次郎が江戸で始めた銭両替商安田屋が出発点となった。…
※「安田善次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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