宝海寺(読み)ほうかいじ

日本歴史地名大系 「宝海寺」の解説

宝海寺
ほうかいじ

[現在地名]古平郡古平町大字港町

チョペタン川沿いの小平地にある。真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。明治三年(一八七〇)京都本願寺の掛所として太政官より寺宇の設置を認められ、陸奥より石沢天樹が本尊・宗祖大師絵像を供奉して開基となる。同四年開拓使よりまる山山麓の新地しんち町に九八〇坪の敷地を下付されて仮本堂建立。同一四年六月開拓使の許可を得て本山一般末寺に列し、宝海寺と公称した。同一八年江良えら西教さいきよう寺の住職西館純一郎が転錫、当寺第一世となる。当初山号は功徳山であったが、同二一年本山から深遠山の山号が付された。このとき幾井旧七が発起人となって梵鐘を寄進した。同二四年鯡漁家の仲谷半次郎より寄進された現在地一町六反余の地に本堂・庫裏普請がなった。


宝海寺
ほうかいじ

[現在地名]妙高村関山

関山せきやま神社前の道を南に行った突当りにある。現在の宗派は単立であるが、かつては曹洞宗で、現板倉いたくら宝寿ほうじゆ院の末寺であった。法海寺と書いた史料もある。中世から関山三社権現の寺坊であったと思われるが、本寺宝寿院一二世道益が再建して寺号を改めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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