朝日日本歴史人物事典 「実川延若(初代)」の解説
実川延若(初代)
生年:天保2(1831)
幕末明治期の歌舞伎役者。屋号河内屋。本名天星庄八。大坂道頓堀の芝居茶屋「河庄」の養子。11歳で2代目実川額十郎に入門,実川延次の名で子役修業。次いで旅修業に出て辛酸をなめ,安政3(1856)年,26歳のとき江戸に下り中村延雀と改名して評よく,29歳で4代目尾上菊五郎養子となり尾上梅幸を襲名。しかし3年後その名跡を返し,旧師額十郎のもとに帰って,その俳名を継いで実川延若と名乗った。以後道頓堀に出て和事師の頭角をあらわし,「心中天網島」(「河庄」)の治兵衛,「鐘鳴今朝噂」の刀屋新助などに実川系の色気と花を見せ,初代中村宗十郎と上方の人気を二分した。「お玉どん知らーんがな」(「雁のたより」の三二五郎七)など独特の台詞回しに濃厚な上方の和事味があった。延若の名跡は平成まで直系3代を数える。
(青木繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報