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室町院 むろまちいん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

室町院
むろまちいん

[生]安貞2(1228)
[没]正安2(1300).5.3.
後堀河天皇の第1皇女。名,暉子。母は中納言藤原家行の娘。仁治1 (1240) 年内親王宣下,寛元1 (43) 年三宮に准じられ,次いで院号宣下。同4年落飾。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

室町院 むろまちいん

1228-1300 鎌倉時代,後堀河天皇の第1皇女。
安貞2年生まれ。母は持明院家行の娘。延応2年内親王,寛元元年准三宮(じゅさんぐう)となり院号をうける。4年19歳で出家した。叔母の式乾(しきけん)門院から膨大な荘園群をうけつぎ,没後この室町院領大覚寺統,持明院統の間で帰属があらそわれ折半された。正安(しょうあん)2年5月3日死去。73歳。名は暉子(きし)。

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世界大百科事典 第2版の解説

むろまちいん【室町院】

1228‐1300(安貞2‐正安2)
鎌倉時代の女院(によいん)。後堀河天皇の第1女。母は持明院家行の女。名は暉子。1240年(仁治1)内親王,43年(寛元1)准三后となり院号を定む。46年出家し法名を妙法覚という。叔母にあたる後高倉院第1女の式乾門院から膨大な荘園群を譲与された。
[室町院領]
 承久の乱(1221)のさい,幕府に没収された後鳥羽上皇の所領の一部。後高倉院に幕府が返したのち式乾門院に伝領された。この荘園群は金剛勝院領,六条院領,七条院領,後高倉院法華堂領等を含む100余ヵ所からなっていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

室町院
むろまちいん
(1228―1300)

後堀河(ごほりかわ)天皇の第一皇女。母は中納言藤原家行の女(むすめ)。名は暉子。1240年(仁治1)内親王、43年(寛元1)准三后(じゅさんごう)、ついで室町院の院号宣下(せんげ)を受け、46年19歳で落飾、法名は妙法覚。49年(建長1)叔母の式乾門院(しきけんもんいん)より膨大な御領を譲られ、これを室町院領と称した。のちこの御領は大覚寺(だいかくじ)、持明院(じみょういん)両統で争われ、折半された。[飯倉晴武]

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