女優、映画監督、ねむの木養護学校校長。東京生まれ。本名本目(ほんめ)真理子。旅回りの歌手などを経て1952年(昭和27)ビクター入社。『毒消しゃいらんかね』『ガード下の靴みがき』などでヒット。映画・舞台に活躍し、自作の劇化『まり子自叙伝』で好評を博す。芝居のなかで肢体不自由児役を演ずるため病院や施設を訪れたことがきっかけで、1968年に独力でその養護施設「ねむの木学園」を静岡県小笠(おがさ)郡浜岡町(現、御前崎(おまえざき)市)に創設(1979年学校法人化)。その子供たちの生活記録を自ら監督した『ねむの木の詩(うた)』(1974)は第6回国際赤十字映画祭で銀賞を受けるなど、内外に大きな反響をよんだ。子供たちの成長とともに『ねむの木の詩がきこえる』(1977)、『虹(にじ)をかける子どもたち』(1980)、『ハロー!キッズ がんばれ子どもたち』(1986)と映画製作が続けられ、1997年(平成9)静岡県掛川市上垂木(かみだるき)に構想20年の福祉の里・ねむの木村が完成した。
[畑 暉男]
ねむの木の詩(1974)
ねむの木の詩がきこえる(1977)
虹をかける子どもたち(1980)
ハローキッズ! がんばれ子どもたち(1986)
『宮城まり子著『ねむの木の子どもたち』正続(講談社文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(2020-3-26)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…一方,劇場では55年に入って,ドイツ文学者でまたコント作家でもあった秦豊吉(1892‐1956)が実現した〈帝劇ミュージカルス〉によって,戦前の〈東宝劇団〉〈ロッパ一座〉,戦後の〈ムーラン・ルージュ〉などの長い下積みを経た森繁久弥が脚光を浴びた。56年にはさらに東京宝塚(東宝)劇場が,占領軍の接収解除によって活動を再開,東宝重役となった菊田一夫によって大劇場形式のミュージカルが提唱され,エノケン,ロッパ,トニー谷(1917‐87),三木のり平(1923‐ ),有島一郎,越路吹雪(1924‐80),宮城まり子(1929‐ )ら,戦前派・戦後派のタレントが活躍の場を得た。だが,オールスターキャスト型のこうした舞台は,かつての軽演劇のニュアンスからは,程遠いものとなった。…
※「宮城まり子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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