改訂新版 世界大百科事典 「宮増」の意味・わかりやすい解説
宮増 (みやます)
室町後期ころの伝説的能作者。生没年不詳。作者別分類の謡名寄(うたいなよせ)である《能本作者注文》(1524年奥書。観世座系)に10曲,同じく《自家伝抄》(1516年奥書。金春座系)に28曲の能の作者として記載するが,両書で曲名が共通するのは《元服曾我》《調伏曾我》の2曲のみで,両説の信憑(しんぴよう)性には疑問が多い。とくに《自家伝抄》の作者説はほとんど信ずるにたりないものであり,《能本作者注文》も宮増に関する記事は必ずしも万全ではないであろうから,いずれにせよこれらに基づき宮増の作風を論ずるのは慎重を要する。ただし,これは宮増と呼ばれる能作者の実在までも疑わしめるものではない。室町時代中期から後期にかけて,宮増姓を名のる能役者は複数存在していた。彼らは鼓打ちなどとして観世座をはじめ大和猿楽系の諸座に所属していたが,その一方で独自の一座を率いて巡業を行う者もあったらしい。そのような群小猿楽の棟梁で,1478年(文明10)ころを中心に活動していた宮増大夫が,能作者宮増に比定できよう。
宮増大夫は大和国内の小祠の楽頭職なども保持する大和猿楽系の役者であるが,観世座似我与左衛門国広著の《四座之役者》によれば,宝生座系の名脇師生一(しよういち)小次郎の師であったとされ,《能本作者注文》に宮増を〈脇之上手〉と伝えているのに対応する。また室町時代後期の鼓名人であった金春座系の宮増弥七・弥六の兄弟の祖父にあたるらしい宮増大夫は,年代的にみてこの宮増大夫と同人であろう。弥七の伝書の奥書(1499年。鴻山文庫蔵《風鼓慶若伝書》)によれば,宮増大夫は現在の三重県多気郡大台町下楠(あるいは四日市市の旧楠町か)に存在していたようであるが,伊勢猿楽との関係は不明である。他書を参照すると,彼は宮増五郎と称して観世座鼓打ちとしても伝説的名人であったらしい。すなわち,能作者宮増は,一座を率いることもあったらしいものの,とくに観世座とのかかわりが深かったようであり,そのために《能本作者注文》にも能作者として名を連ねることになったものと思われる。その作風の正確な検証や能作史上の意義の解明は今後の研究にまつべき点が多い。
執筆者:竹本 幹夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報