日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワキ」の意味・わかりやすい解説
ワキ
わき
能の用語。能の主役であるシテに対し、脇役(わきやく)を勤める専門職。女性や老人、また神や鬼などの異次元の存在に扮(ふん)することはまったくなく、現実の男性のみを演じ、つねに直面(ひためん)(素顔)で、能面を用いることはなく、舞を舞わない。『邯鄲(かんたん)』のワキだけは夢のなかの人物であり、また『楊貴妃(ようきひ)』のワキは、仙界に分け入る超能力者として描かれている。『安宅(あたか)』や『船弁慶(ふなべんけい)』など、シテと対立する役もあり、ワキのほうが激しく動いて主役の観のある『張良(ちょうりょう)』『羅生門(らしょうもん)』などの例もあるが、諸国一見の旅僧のような役が多い。しかし、能の導入部を担当したあと、舞台の一隅に座したままのワキの存在感は、能の成否を左右するほど重要である。ワキツレ(ワキに従属する役)を伴う曲目もあり、『小袖曽我(こそでそが)』『初雪(はつゆき)』のようにワキの役を欠く曲目もある。
ワキ方は、室町末期にシテ方から独立して専門職となったとされている。江戸時代にはワキ方各流はシテ方各流の座付きの専属制であったが、明治以降は自由契約制度でシテ方の主催する舞台を勤める。ワキ方五流があったが、進藤(しんどう)流は明治初期に、春藤(しゅんどう)流は大正期に廃絶し、現在は高安(たかやす)流、福王(ふくおう)流、宝生(ほうしょう)流の三流である。宝生流はシテ方と区別するために下掛(しもがか)り宝生流とよばれる。高安流の謡(うたい)は金剛流、福王流は観世(かんぜ)流に酷似しているが、下掛り宝生流は独自のワキの謡と芸風を開発している。芸術院会員には宝生新(しん)、宝生弥一(やいち)、宝生閑(かん)(1934―2016)、重要無形文化財各個指定(人間国宝)には松本謙三(けんぞう)、宝生弥一、森茂好(しげよし)、宝生閑が選ばれており、いずれも下掛り宝生流である。その後継者に鏑木岑男(かぶらきみねお)(1931―2017)、野口敦弘(あつひろ)(1938― )、工藤和哉(かずや)(1943― )、殿田謙吉(とのだけんきち)(1959― )らがある。長い時間ただ座っている役も多く、じみな役だけに後継者難に陥っている。なお、山形県の農民の継承する黒川能では、ワキ方は独立しておらず、シテ方から出るが、少年に演じさせる習慣もある。
[増田正造]