宮本常一(読み)ミヤモトツネイチ

デジタル大辞泉 「宮本常一」の意味・読み・例文・類語

みやもと‐つねいち【宮本常一】

[1907~1981]民俗学者。山口の生まれ。教員のかたわら近畿民俗学会に参加。渋沢敬三に認められ、アチックミューゼアムソサエティ(現神奈川大学日本常民文化研究所)の研究所員となる。全国を旅して歩き、各地の生活・文化・経済を研究、独自の民俗学を確立。離島振興にも尽力した。著「忘れられた日本人」ほか。

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精選版 日本国語大辞典 「宮本常一」の意味・読み・例文・類語

みやもと‐つねいち【宮本常一】

  1. 民俗学者。山口県出身。日本各地をめぐり歩き、社会・経済・文化などについて調査研究し、独特の民俗学を確立する。著「忘れられた日本人」など。明治四〇~昭和五六年(一九〇七‐八一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮本常一」の意味・わかりやすい解説

宮本常一
みやもとつねいち
(1907―1981)

民俗・民族・民具・生活学者。山口県大島郡東和町(現、周防大島(すおうおおしま)町)生まれ。大阪府天王寺師範学校卒業後、大阪府下小学校、奈良県郡山(こおりやま)中学校教員歴任のかたわら近畿民俗学会で活躍。柳田国男(やなぎたくにお)、渋沢敬三に認められ1939年(昭和14)上京。渋沢の主宰するアチック・ミューゼアム(現、神奈川大学日本常民文化研究所)研究所員となり、以来全国各地を調査、その足跡は日本の隅々に及ぶ。かたがた各地で農業および生活改善にかかわる教育指導を実践。またその調査研究は社会・経済・文化各領域にわたり、独特の民俗学を確立。さらに民具学、旅学(たびがく)、島嶼(とうしょ)学を提唱した。一方、全国離島振興協議会、林業金融調査会、日本観光文化研究所等の設立運営に尽力した。1964~1977年武蔵野(むさしの)美術大学教授。文学博士。周防大島文化交流センター(周防大島町)には、宮本が収集した民俗資料、文献などが収蔵展示されている。

[高松圭吉 2019年2月18日]

『宮本常一著『瀬戸内海の研究』(1965/復刊・1992・未来社)』『『宮本常一著作集』全50巻(1967~2008・未来社)』

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20世紀日本人名事典 「宮本常一」の解説

宮本 常一
ミヤモト ツネイチ

昭和期の民俗学者 武蔵野美術大学名誉教授。



生年
明治40(1907)年8月1日

没年
昭和56(1981)年1月30日

出生地
山口県大島郡白木村(現・東和町)

学歴〔年〕
天王寺師範学校地理〔昭和4年〕卒

学位〔年〕
文学博士(東洋大学)〔昭和36年〕

主な受賞名〔年〕
日本エッセイストクラブ賞(第9回)〔昭和36年〕「日本の離島」,中国文化賞〔昭和36年〕,今和次郎賞〔昭和52年〕「宮本常一著作集」

経歴
小学校教師をしながら独学で民俗学を研究。昭和7年柳田國男に認められて手紙で指導を受け、8年「口承文学」を創刊。11年近畿の有志と「近畿民俗」を創刊。14年上京、渋沢敬三主宰のアチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所)に入り、「おしらさま図録」などの共同研究の成果をまとめる。戦後郷里に帰農したが、27年再び上京し、日本常民文化研究所の研究を再開、全国津々浦々を歩いて実地調査をかさね、柳田の語彙採集中心主義に対し、地域文化を支える生産者のエネルギーがどんな人間関係や環境から生まれるかを探る独自の“宮本民俗学”を確立した。この間、28年全国離島振興協議会を設立し、幹事長。40〜52年武蔵野美術大学教授。他に日本常民文化研究所理事、日本塩業研究会会長、日本観光文化研究所所長などを歴任。著書は「周防大島を中心としたる海の生活誌」「民俗学への道」「海をひらいた人々」「日本の離島」「日本民衆史」(全6巻)「瀬戸内海の研究」「私の日本地図」(全15巻)「旅人たちの歴史」(全3巻)など100冊を超え、集大成として「宮本常一著作集」(全41巻・別巻2 未来社)がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮本常一」の意味・わかりやすい解説

宮本常一
みやもとつねいち

[生]1907.8.1. 山口,家室西方
[没]1981.1.30. 東京,府中
民俗学者。天王寺師範学校卒業。小学校教諭を務めるかたわら研究を始め,柳田国男に認められる。1939年上京,渋沢敬三アチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所)に入所。日本各地を広く調査して回り,おもに離島や山村に暮らす人々,定住しない人々など,表立って語られることのなかった庶民の生き方を対象に研究して,柳田の水田稲作農民中心の視点と対比された。1963年論文『瀬戸内海の研究』で文学博士号取得。1965年より武蔵野美術大学教授。ほかに日本観光文化研究所所長などを務めた。主著に『忘れられた日本人』(1960),『塩の道』(1985),『宮本常一著作集』(本巻 50,別集 2,1967~2008)など多数。1981年勲三等瑞宝章を受章。

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百科事典マイペディア 「宮本常一」の意味・わかりやすい解説

宮本常一【みやもとつねいち】

民俗学者。山口県生れ。大阪府天王寺師範学校卒。渋沢敬三のアチック・ミューゼアム(のち日本常民文化研究所)研究員,武蔵野美術大教授,日本観光文化研究所長などを歴任。全国の山村,漁村,離島の民具,祭礼,習俗を調査。主著《日本民衆史》など。《宮本常一著作集》全50巻(刊行中)がある。
→関連項目姫田忠義

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「宮本常一」の解説

宮本常一
みやもとつねいち

1907.8.1~81.1.30

昭和期の民俗学者。山口県出身。大阪にでて,小学校教員のかたわら民俗学の道に入る。1954年(昭和29)上京,渋沢敬三のアチック・ミューゼアム(日本常民文化研究所)に入り,全国各地への旅を続ける。柳田国男の民俗学とは一線を画し,非農業民を含めた常民文化の特質を追究した。とくに海からの視点をもち,離島振興に努めた。膨大な旅と,郷里で体験した生活記録を背景に,「忘れられた日本人」「家郷の訓(おしえ)」など数多くの著作をまとめた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮本常一」の解説

宮本常一 みやもと-つねいち

1907-1981 昭和時代の民俗学者。
明治40年8月1日生まれ。小中学校の教員をつとめながら,近畿民俗学会に参加。昭和14年渋沢敬三のアチック・ミューゼアム(現日本常民文化研究所)所員となる。全国の離島や辺地を踏査し,独自の民俗学をきずいた。39年武蔵野美大教授。昭和56年1月30日死去。73歳。山口県出身。天王寺師範(現大阪教育大)卒。著作に「海をひらいた人びと」「忘れられた日本人」など。

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367日誕生日大事典 「宮本常一」の解説

宮本 常一 (みやもと つねいち)

生年月日:1907年8月1日
昭和時代の民俗学者
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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