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寛容法(かんようほう)
Toleration Act
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
かんようほう【寛容法 Toleration Act】
名誉革命の結果,1689年イギリスで制定された,プロテスタント非国教徒に宗教上の寛容を認める法律。これによって,長老派,会衆派(独立派),バプティストなどのプロテスタント諸教派は,一定の条件つきながら,英国国教会の外に彼ら独自の礼拝集会を持つ自由を認められた。それは,同じ年に出版されたロックの《寛容に関する書簡》に明示されている政教分離,良心の自由という新たな理念と,国王を最高の統轄者とする伝統的な国教会支配体制との妥協の産物とみることができよう。
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寛容法【かんようほう】
名誉革命後の1689年,英国で成立した宗教的寛容に関する法律。カトリック教徒以外の非国教徒に信仰の自由を認め国家統制は弱まったが,種々の条件がつけられており,全面的な寛容の承認ではなく,審査法による非国教徒の公職就任の禁止などはこの後も続いた。
→関連項目非国教徒
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寛容法
かんようほう
Toleration Act
名誉革命後の 1689年5月イギリスで制定された法律。カトリック以外の非国教徒に信仰の自由を認めたが,公職就任は依然として禁止されたままであった。
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世界大百科事典内の寛容法の言及
【名誉革命】より
…仮議会は正式の議会となり,先の〈権利宣言〉を〈臣民の権利および自由を宣言し,王位継承を定める法〉,通称〈権利章典〉として制定。ついで寛容法も制定され,国教会を体制教会としながらもプロテスタント非国教徒にも信仰の自由が認められた。 なお,スコットランドにおいてはジェームズ2世を支持するジャコバイトの勢力が強く,名誉革命を承認する議会とジャコバイトの間で武力抗争が行われた。…
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