洋学者、教育家、慶応義塾塾長。豊前(ぶぜん)国中津藩(大分県)の藩士小幡篤蔵の二男。藩黌(はんこう)進修館で漢学を修め、塾長となったが、福沢諭吉の勧めで1864年(元治1)江戸に出て福沢の塾に入り英学を学び、塾長を務め、また幕府の開成所英学助教ともなった。『天変地異』『博物新編補遺』などの科学啓蒙(けいもう)書は人々に歓迎され、科学知識の普及に貢献した。福沢とともに『学問のすゝめ』を著し、また『時事新報』の創刊に尽力するなど思想界の指導的役割を果たした。1879年(明治12)初の東京学士院会員となり、のち貴族院議員にも推された。
[菊池俊彦]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…1880年1月創立の社交クラブ。前年9月福沢諭吉,小幡篤次郎,矢野文雄(竜渓),馬場辰猪ら31名が会合して創設を決定したもの。中心メンバーは福沢(常議員会長),小幡(幹事)以下の慶応義塾関係者で,〈知識を交換し世務を諮詢する〉ことを目的にかかげた。…
※「小幡篤次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新