1880年1月創立の社交クラブ。前年9月福沢諭吉,小幡篤次郎,矢野文雄(竜渓),馬場辰猪ら31名が会合して創設を決定したもの。中心メンバーは福沢(常議員会長),小幡(幹事)以下の慶応義塾関係者で,〈知識を交換し世務を諮詢する〉ことを目的にかかげた。たんなる社交クラブにとどまらず,立志社-愛国社系の自由民権運動に対抗するという政治的ねらいをもっていたとみられる。全国的な組織活動の結果,発足時1800名の社員を擁し,構成員は地主・豪農層や商工業者,銀行家,官吏,学者,言論人,教員など,中央・地方の有力者であった。同年2月5日機関誌《交詢雑誌》(毎月3回発行,20ページ建て)を発行し,福沢理論を基調とした論文を掲載。翌81年4月には私擬憲法(交詢社憲法案)を発表して,二院制議会,財産による制限選挙などを提唱し,自由民権派の私擬憲法起草に多大の影響を与えた。政治的には82年4月結成の立憲改進党に近く,多くの社員が同党に参加した。その後目だった政治的動きは示していないが,大正初年の第1次護憲運動に際しては,その推進力となって活躍した。1912年12月二個師団増設問題で第2次西園寺公望内閣が倒れると,交詢社有志は集会して〈閥族打破憲政擁護〉を旗印に反官僚の運動をすすめることを決定。発起人となって時局有志懇談会を開き,憲政擁護会を結成して,第3次桂太郎内閣総辞職を実現させた。その後実業家の社交クラブとして現在東京都中央区銀座にある。なお交詢社出版局から《日本紳士録》(1889創刊)が出ている。
執筆者:大日方 純夫
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1880年(明治13)に福沢諭吉をはじめ、小幡篤次郎(おばたとくじろう)、馬場辰猪(たつい)、矢野文雄(ふみお)らの慶応義塾関係者によって設立された社交クラブ。知識の交換と世務の諮詢(しじゅん)とを会の目的として、『交詢雑誌』を発刊。政治的には自由党と対立、81年私擬憲法として交詢社憲法案を発表、翌年結成された立憲改進党の有力な支持基盤となる。その後、門野幾之進(かどのいくのしん)、朝吹英二(あさぶきえいじ)、鎌田栄吉(かまたえいきち)らが中心となり、著名な社員には、三井財閥系の中上川(なかみがわ)彦次郎、武藤山治(むとうさんじ)、池田成彬(なりあき)らの実業家、尾崎行雄(ゆきお)、竹越与三郎(よさぶろう)、犬養毅(いぬかいつよし)、箕浦勝人(みのうらかつんど)などの政治家、本多精一(せいいち)、小山完吾(こやまかんご)らのジャーナリストがいた。大正政変(1913)の際に憲政擁護会を結成して、第一次護憲運動の指導的役割を果たした。社交クラブとして現在に至っている。
[栄沢幸二]
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明治初期に創立された社交クラブ。小幡篤次郎(おばたとくじろう)・馬場辰猪(たつい)などの慶応義塾出身者が1880年(明治13)に創立。福沢諭吉を会長に,大隈重信・鍋島直大(なおひろ)・後藤象二郎をはじめ華族・官僚・学者・地主・商工業者などが参加した。「交詢雑誌」を発行,81年立憲改進党につながる構想の私擬憲法案(交詢社憲法)を発表。大正期にも憲政擁護会結成の中心的役割をはたした。現在も社交クラブとして存続している。
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…藩校進修館の塾長を務めたが,1864年(元治1)上京,同郷の福沢諭吉の門に英学を学び,66年福沢家塾塾頭,幕府開成学校英学助教となる。77年欧米漫遊,のち交詢社の結成,明治生命保険会社創立に尽くし,また立憲改進党結成に参画した。東京学士院会員,貴族院勅選議員,貨幣制度調査委員となり,日本郵船,鐘淵紡績の役員などを兼ねるが,福沢に寄り添い慶応義塾の経営に精魂を傾け,90年塾長となった。…
………江湖の諸君子,貴賤貧富の別なく,続々来舎して其楽みを洪ひにせよ〉(《明治事物起源》)とある。また,福沢は80年慶応義塾の出身者,縁故者を多く有して結成された,交詢社発会の中心人物でもあった。明治10年代に入ると各地,各階層にクラブが結成されるようになるが,その性格も必ずしも社交機関としてのクラブだけではなかった。…
… 最後に,都市結社は厳密には地方結社と異なるが,都市を中心としながら地方への広がりをもったものも多い。慶応義塾関係者が結成した社交団体である交詢社(1880年創立,福沢諭吉・矢野文雄(竜渓)・小幡篤次郎ら,創立時会員1800余)や《東京横浜毎日新聞》を拠点として関東一円から東北地方南部にまで支社の網をはった嚶鳴社(おうめいしや)(1873年法律講習会として創立,沼間守一・肥塚竜・島田三郎ら,社員1000余)は,当時最大の知識人集団であり,地方政治運動の喚起に大きな力をもった。このほか留学帰朝者が組織した共存同衆(1874年創立,小野梓・馬場辰猪ら)や,中江兆民の仏学塾(1874年創立)は民権思想の普及に貢献した。…
※「交詢社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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