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小浜城 おばまじょう

日本の城がわかる事典の解説

おばまじょう【小浜城〈福島県〉】

福島県二本松市(旧岩代町)にあった戦国時代の山城(やまじろ)。戦国武将の大内氏の居城。室町時代に塩松地方(現在の二本松市と安達郡東部一帯)を支配していた石橋氏の属城で、その家臣の大内氏が築いたとされている。その後、大内氏は主家の石橋氏を滅ぼし、この地方の実権を握り、伊達、蘆名、田村などの有力大名と同盟と離反を繰り返しながら領地を存続させた。1584年(天正12)に、伊達政宗(まさむね)が伊達家の家督を継ぐと、小浜城主の大内定綱は伊達氏への臣従を誓いながら、蘆名氏に属した。このため、政宗は塩松地方を攻め、定綱は蘆名氏の庇護を求めて逃亡したため伊達氏の城となり、政宗はこの城を二本松の畠山氏の攻略の拠点として活用した。その畠山氏攻略中に、政宗の父輝宗が畠山義継の謀略により拉致・殺害される事件が起こっている。一方、大内定綱は蘆名氏滅亡後、政宗に許され伊達家の重臣となった。1591年(天正19)、豊臣秀吉の奥州仕置により、塩松地方は蒲生氏郷(がもううじさと)の所領となり、小浜城には氏郷の家臣の蒲生忠右衛門が城代として在城した。その後、上杉支配時代には山浦景国が、江戸時代に入ると会津藩主蒲生氏の支城となり、家臣の玉井貞右が城代として入城した。藩主の蒲生忠郷が跡継ぎのないまま死去し、弟の忠知が伊予松山(愛媛県)に移封となった1627年(寛永4)に、一国一城令に基づき廃城となった。現在、本丸跡など城域の一郭は下館山児童公園として整備され、郭、石垣、帯郭、堀切、土橋跡などが残っている。かつての本丸南側の虎口である同公園の入り口に残る石垣は、蒲生氏郷の属城となっていた時期につくられたものである。なお、小浜城南方2kmに、支城の宮森城跡がある。JR東北本線二本松駅からバスで小浜下車。

おばまじょう【小浜城〈福井県〉】

福井県小浜市にあった平城(ひらじろ)。同県指定史跡(本丸石垣)。南川と北川を自然の外堀として西側は海に面した水城である。豊臣秀吉の時代、一帯を領有していたのは木下勝俊である。勝俊は1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで西軍に属したことから戦後に除封され、近江・大津城主の京極高次が8万5000石の若狭藩主として入封した。若狭の領主となった高次は、若狭守護武田氏以来の後瀬山城を居城とせず、1601年(慶長6)に海岸沿いに城下町を整備して新たな城の建設に着手した。これが小浜城である。高次・高忠の京極氏は2代にわたって城の建設を行ったが、同城完成前に出雲国松江に転封となり、代わって武蔵川越藩主の酒井忠勝が入封し、縄張りを大幅に変更して城の造営を引き継ぎ、天守を造営して1642年(寛永19)に完成させた。小浜城は以降、酒井氏代々の居城として明治維新を迎えた。明治に入り、城には大阪鎮台の第一分営が置かれることになったが、1871年(明治4)に、鎮台の施設の建設中に出火し、城の建物の大部分を失った。また、同年の廃藩置県に際して城内に小浜県庁が設置された。天守は火災を免れたが、1874年(明治7)に売却・撤去された。現在、本丸以外の城域は小浜市街や北川の河川拡張により河川となってしまっている。また、本丸部分にはその外周をめぐっていた石垣のみが遺構として現存しており、本丸跡には、藩祖酒井忠勝を祀る1875年(明治8)創建の小浜神社がある。同神社の境内の西南部には3層の天守閣が建てられていた天守台が現存している。また、藩校・順造館の正門が福井県立若狭高等学校の正門「順造門」として移築され現存している。JR小浜線小浜駅から1.5km。◇雲浜城ともよばれる。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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