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小西来山 こにし らいざん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小西来山 こにし-らいざん

1654-1716 江戸時代前期-中期の俳人。
承応(じょうおう)3年生まれ。前川自入(じにゅう),西山宗因にまなぶ。のち宗因の談林派にあきたらず,上島鬼貫(うえじま-おにつら)らと伊丹(いたみ)派をおこした。晩年は蕉風(しょうふう)にちかい作風をみせる。享保(きょうほう)元年10月3日死去。63歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。通称は伊右衛門。別号に満平(みつひら),湛々翁,十万堂。著作に「大坂八五十韻(はちごじゅういん)」など。
【格言など】青し青し若菜は青し雪の原(「続いま宮草」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

小西来山

没年:享保1.10.3(1716.11.16)
生年:承応3(1654)
江戸中期の俳人。通称,伊右衛門。別号に,満平,十万堂,湛翁,湛々翁など。俳諧は西山宗因門の前川由平に学び,のち宗因門となる。若いころに点者となり,大坂の主要俳人として活躍。ことに元禄3(1690)年ごろからの活動には目を引くものがあり,当時の大坂の宗匠の中でも代表的な俳人といってよい。5年には,『俳諧三物』を刊行した。来山の独吟表6句を巻頭に置き,知友門弟の句を所収。以後,自ら選んだ集はない。そのころから雑俳点者へと傾斜していき,10年以降の加点は著しい。生前に刊行された雑俳書は約130部確認されるが,来山点の載るものは50部におよぶ。大坂の代表的な雑俳点者であった。俳諧から雑俳の流行へと移行する元禄前後の俳壇変動が,みごとに投影された俳人であり,洒脱磊落な人物であった。<参考文献>飯田正一『小西来山俳句解』

(楠元六男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

こにしらいざん【小西来山】

1654~1716) 江戸前・中期の俳人。通称、伊右衛門。別号、十万堂・湛々翁など。大坂の人。俳諧師としても雑俳点者としても活躍した。著「今宮草」「俳諧五子稿ごしこう」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小西来山
こにしらいざん

[生]承応3(1654).大坂
[没]享保1(1716).10.3. 大坂
江戸時代中期の俳人。通称,伊右衛門。別号,満平 (みつひら) ,十万堂,湛翁,湛々翁,未来居士,宗無居士。大坂淡路町の薬種商の子。のち渡辺橋のほとり,さらに今宮に住む。前川由平,西山宗因の門。伊丹の上島鬼貫と親交があり,作風は談林から出たが蕉風に近いものであった。元禄5 (1692) 年刊の『咲やこの花』 (菊子編) に句が載る。以後は前句付,笠付にも手を染めた。編著『俳諧三物』 (92) ,『今宮草』 (1734) ,『続今宮草』 (83) ,『俳諧十家類題集』など。

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世界大百科事典内の小西来山の言及

【来山】より

…江戸前期の俳人。姓は小西,通称は伊右衛門。初号は満平,別号に十万堂,湛翁,宗無居士など。大坂の人。少年期に死別した父が宗因門の俳人だったことから,同門の由平の後見を得て俳人となった。若くして法体となり,1713年(正徳3)夏,今宮に閑居。豪放磊落(らいらく)な人柄であったらしい。また無類の酒好きで〈生涯醒めたる日なく〉と鬼貫の追悼文にみえる。雑俳の点業にも力を入れた。〈お奉行の名さへ覚えずとしくれぬ〉(《海陸前集》)。…

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