小金井芦洲(読み)こがねいろしゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小金井芦洲」の意味・わかりやすい解説

小金井芦洲
こがねいろしゅう

講釈師

[延広真治]

初代

(1799―1863)本名小林太郎兵衛。桃林亭東玉(とうりんていとうぎょく)門下で、光斎玉梅、鶴光斎(かくこうさい)北梅、小金井芦洲から小金井(井)北梅となる。博識で文筆の才があり、端物(はもの)を得意とした。

[延広真治]

2代

(1848―1908)本名小金井亀之助。初代田辺南竜門下であったが、初代芦洲に入門。18歳で2代目を襲名。先代没後は初代宝井琴凌(きんりょう)が後見で、同時に小金井姓となる。1886年(明治19)東京講談組合頭取、1906年(明治39)組合分裂後は同志会会頭。修羅場(ひらば)読みの名手で、蔵書家であった。

[延広真治]

3代

(1873―1925)本名秋元格之助。落語家より転じて講釈師となる。1904年(明治37)5代神田伯竜となるが、組合分裂の際、師の2代神田伯山と対立、3代西尾麟慶(りんけい)と改め、11年に3代芦洲を襲名。世話物名人で、『鼠小僧(ねずみこぞう)』『塩原多助』などを得意とした。

[延広真治]

4代

(1888―1949)本名松村伝次郎。4代神田伯竜の実子。神田竜子といったが、3代芦洲の門人となり、1937年(昭和12)4代目を相続。芸域は広く、軽妙な読み口であった。

[延広真治]

5代

(1877―1961)本名上野正吉。化粧品店を経営、40歳で大島小伯鶴(こはっかく)に入門。1949年(昭和24)5代芦洲を襲名したが、58年に桜洲となる。3代目の芸を継承した世話物の名手。

[延広真治]

6代

(1926―2003)本名岩間虎雄(とらお)。4代目の門に入り、5代西尾麟慶を経て、1965年(昭和40)6代目を襲名。三尺物を得意とする。講談協会会長(1991~2002)。

[延広真治]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「小金井芦洲」の解説

小金井 芦洲(6代目)
コガネイ ロシュウ


職業
講談師

肩書
講談協会会長

資格
要記録無形文化財保持者(講談)〔平成9年〕

本名
岩間 虎雄(イワマ トラオ)

別名
前名=小金井 靖洲,小金井 若洲,西尾 麟慶(5代目)

生年月日
大正15年 12月21日

出生地
東京・谷中

学歴
汐見小卒

経歴
昭和17年4代目小金井芦洲に入門し靖洲を名乗る。のち若洲と改名。復員後、23年に真打ちとなり、24年5代目西尾麟慶を名乗る。40年6代目芦洲を襲名。この間、講談協会副会長を経て、平成3〜12年会長。6年から東京・日本橋の小劇場お江戸日本橋亭で5年ぶりの常打ちを始めた。「清水次郎長」「国定忠治」「天保水滸伝」などの侠客伝に定評があり、落語家の立川談志から“最後の講釈師”といわれた。

所属団体
講談協会

受賞
芸術祭賞〔昭和60年〕

没年月日
平成15年 6月29日 (2003年)


小金井 芦洲(3代目)
コガネイ ロシュウ


職業
講談師

本名
秋元 格之助

別名
前名=蓁々亭 葉生,神田 伯鯉,神田 伯竜(4代目),西尾 麟慶(三代目),あだ名=馬面の芦洲,間延

生年月日
明治9年 7月9日

出生地
東京

経歴
旧鳥羽藩士の子として生まれる。はじめ講談師・蓁々斎桃葉に入門。次いで2代目神田伯山の門下に移り、伯鯉を経て4代目神田伯竜を名乗る。明治38年講談師の組合が分裂すると、師の伯山と袂を分かち、4代目宝井馬琴に師事して三代目西尾麟慶を称した。44年麟慶の名跡を弟子に譲り、3代目小金井芦洲を襲名。「塩原太助」や「鼠小僧次郎吉」などの世話物を得意とし、不思議な魅力をたたえた語り口で大正期には講談界の大看板として人気を集めた。しかし、酒好きでたびたび高座を休み、“ズボラの師団長”と呼ばれた。また、顔が長いため、“馬面の芦洲”“間延”などのあだ名もある。弟子に五代目神田伯山らがおり、落語家の5代目古今亭志ん生も一時期その門下であった。

没年月日
大正14年 7月10日 (1925年)


小金井 芦洲(4代目)
コガネイ ロシュウ


職業
講談師

本名
松村 伝次郎

別名
前名=神田 龍子,西尾 麟慶

生年月日
明治21年 12月6日

出生地
東京・浅草

経歴
3代目神田伯龍の子。13歳の時父に死別、3代目芦洲の弟子に入り神田龍子と名乗る。師の前名西尾麟慶の名を一時もらったが、昭和12年に4代目芦洲を襲名。悪声で人気は出なかったが、世話講談に優れ、渋さで芸通には喜ばれた。得意の演目は「鼠小僧次郎吉」。

没年月日
昭和24年 1月8日 (1949年)

家族
父=神田 伯竜(3代目)


小金井 芦洲(5代目)
コガネイ ロシュウ


職業
講談師

本名
上野 正吉

別名
前名=小金井 慶昇,宝井 馬秀,後名=小金井 桜洲(コガネイ オウシュウ)

生年月日
明治10年 11月1日

出生地
東京・浅草

経歴
浅草で小間物屋を営んでいたが、講談が好きで40歳の時、3代目芦洲に弟子入り、慶昇を名乗った。のち、宝井馬秀と改名。昭和24年5代目芦洲を襲名。芸風は3代目芦洲によく似ていたという。得意の演目は「半七捕物帳」「藪原検校」「佐倉義民伝」など。34年に小金井桜洲と改名した。

没年月日
昭和36年 6月14日 (1961年)


小金井 芦洲(2代目)
コガネイ ロシュウ


職業
講談師

本名
秋元 格之助

別名
前名=小金井 北馬

生年月日
嘉永1年 8月2日

出生地
江戸・浅草象潟町(東京都)

経歴
14歳で田辺南龍の弟子となり、翌年小金井北梅に望まれて北馬の名で前座を務め、18歳で芦洲を襲名。講釈師仲間の初代頭取に選ばれ、「日蓮記」「賤ケ岳七本槍」「川中島合戦」などを得意とした。6代目一龍斎卓山らと並び称され、5代目古今亭志ん生も、あこがれて弟子入りした。

没年月日
明治41年 5月3日 (1908年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「小金井芦洲」の解説

小金井 芦洲(3代目)
コガネイ ロシュウ

明治・大正期の講談師



生年
明治9年7月9日(1876年)

没年
大正14(1925)年7月10日

出生地
東京

本名
秋元 格之助

別名
前名=蓁々亭 葉生,神田 伯鯉,神田 伯竜(四代目),西尾 麟慶(三代目),あだ名=馬面の芦洲,間延

経歴
旧鳥羽藩士の子として生まれる。はじめ講談師・蓁々斎桃葉に入門。次いで二代目神田伯山の門下に移り、伯鯉を経て4代目神田伯竜を名乗る。明治38年講談師の組合が分裂すると、師の伯山と袂を分かち、4代目宝井馬琴に師事して三代目西尾麟慶を称した。44年麟慶の名跡を弟子に譲り、3代目小金井芦洲を襲名。「塩原太助」や「鼠小僧次郎吉」などの世話物を得意とし、不思議な魅力をたたえた語り口で大正期には講談界の大看板として人気を集めた。しかし、酒好きでたびたび高座を休み、“ズボラの師団長”と呼ばれた。また、顔が長いため、“馬面の芦洲”“間延”などのあだ名もある。弟子に五代目神田伯山らがおり、落語家の5代目古今亭志ん生も一時期その門下であった。


小金井 芦洲(6代目)
コガネイ ロシュウ

昭和・平成期の講談師 講談協会会長。



生年
大正15(1926)年12月21日

没年
平成15(2003)年6月29日

出生地
東京・谷中

本名
岩間 虎雄(イワマ トラオ)

別名
前名=小金井 靖洲,小金井 若洲,西尾 麟慶(5代目)

学歴〔年〕
汐見小卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和60年〕

経歴
昭和17年4代目小金井芦洲に入門し靖洲を名乗る。のち若洲と改名。復員後、23年に真打ちとなり、24年5代目西尾麟慶を名乗る。40年6代目芦洲を襲名。この間、講談協会副会長を経て、平成3〜12年会長。6年から東京・日本橋の小劇場お江戸日本橋亭で5年ぶりの常打ちを始めた。「清水次郎長」「国定忠治」「天保水滸伝」などの俠客伝に定評があり、落語家の立川談志から“最後の講釈師”といわれた。


小金井 芦洲(5代目)
コガネイ ロシュウ

大正・昭和期の講談師



生年
明治10(1877)年11月1日

没年
昭和36(1961)年6月14日

出生地
東京・浅草

本名
上野 正吉

別名
前名=小金井 慶昇,宝井 馬秀,後名=小金井 桜洲(コガネイ オウシュウ)

経歴
浅草で小間物屋を営んでいたが、講談が好きで40歳の時、3代目芦洲に弟子入り、慶昇を名乗った。のち、宝井馬秀と改名。昭和24年5代目芦洲を襲名。芸風は3代目芦洲によく似ていたという。得意の演目は「半七捕物帳」「藪原検校」「佐倉義民伝」など。34年に小金井桜洲と改名した。


小金井 芦洲(4代目)
コガネイ ロシュウ

明治〜昭和期の講談師



生年
明治21(1888)年12月6日

没年
昭和24(1949)年1月8日

出生地
東京・浅草

本名
松村 伝次郎

別名
前名=神田 龍子,西尾 麟慶

経歴
3代目神田伯龍の子。13歳の時父に死別、3代目芦洲の弟子に入り神田龍子と名乗る。師の前名西尾麟慶の名を一時もらったが、昭和12年に4代目芦洲を襲名。悪声で人気は出なかったが、世話講談に優れ、渋さで芸通には喜ばれた。得意の演目は「鼠小僧次郎吉」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小金井芦洲」の解説

小金井芦洲(3代) こがねい-ろしゅう

1876-1925 明治-大正時代の講談師。
明治9年7月9日生まれ。2代神田伯山(はくざん)の門にはいり,5代神田伯竜を名のる。明治38年の組合分裂時に4代宝井馬琴(ばきん)の一門となり,3代西尾麟慶(りんけい)と改名。44年3代芦洲を襲名する。「塩原多助」「鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉」などの世話物を得意とした。大正14年7月10日死去。50歳。東京出身。本名は秋元格之助。

小金井芦洲(2代) こがねい-ろしゅう

1848-1908 幕末-明治時代の講談師。
嘉永(かえい)元年8月2日生まれ。初代田辺南竜に入門後,初代小金井芦洲の弟子となる。北馬(ほくば),北洲をへて,18歳で2代芦洲を襲名。明治19年東京講談組合の初代頭取。「日蓮(にちれん)記」「川中島合戦」などを得意とし,修羅場(ひらば)読みの名人といわれた。明治41年5月3日死去。61歳。江戸出身。本名は亀之助。

小金井芦洲(6代) こがねい-ろしゅう

1926-2003 昭和-平成時代の講談師。
大正15年12月21日生まれ。昭和17年4代小金井芦洲に入門。靖洲,若洲をへて真打となり,5代西尾麟慶を名のる。40年6代を襲名。「清水次郎長」「国定忠治」などの仁侠物や世話物で知られ,立川談志から「最後の講釈師」といわれた。平成3年講談協会会長。平成15年6月29日死去。76歳。東京出身。本名は岩間虎雄。

小金井芦洲(5代) こがねい-ろしゅう

1877-1961 大正-昭和時代の講談師。
明治10年11月1日生まれ。化粧品店経営から40歳で講談界にはいる。のち3代小金井芦洲の門にはいり,昭和24年5代芦洲を襲名。晩年は桜洲(おうしゅう)を名のる。「塩原多助」「半七捕物帳」などの世話物を得意とした。昭和36年6月14日死去。83歳。東京出身。本名は上野正吉。

小金井芦洲(初代) こがねい-ろしゅう

1799-1864* 江戸時代後期の講談師。
寛政11年生まれ。桃林亭東玉(とうりんてい-とうぎょく)の門にはいり,玉梅をへて北梅を名のる。小金井派をひらき,のち芦洲を称する。講談種本の脚色・創作がおおく,短編を得意とした。文久3年12月5日死去。65歳。本名は小林太郎兵衛。

小金井芦洲(4代) こがねい-ろしゅう

1888-1949 明治-昭和時代の講談師。
明治21年12月6日生まれ。4代神田伯竜の子。3代小金井芦洲の門にはいり,慶昇などを名のる。昭和12年4代芦洲を襲名。「鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉」などの世話物を得意とした。昭和24年1月8日死去。62歳。東京出身。本名は松村伝次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android