デジタル大辞泉
「尾佐竹猛」の意味・読み・例文・類語
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おさたけ‐たけき【尾佐竹猛】
- 歴史学者。石川県出身。大審院判事。吉野作造らと明治文化研究会を設立し「明治文化全集」二四巻を刊行。著「維新前後に於ける立憲思想」「日本憲政史大綱」など。明治一三~昭和二一年(一八八〇‐一九四六)
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尾佐竹 猛
オサタケ タケキ
明治〜昭和期の司法官,歴史家 大審院判事;明治大学法学部教授;明治文化研究会会長。
- 生年
- 明治13(1880)年1月20日
- 没年
- 昭和21(1946)年10月1日
- 出生地
- 石川県金沢
- 学歴〔年〕
- 明治法律学校(現・明治大学)〔明治32年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士(東京帝大)〔昭和3年〕
- 経歴
- 明治32年第1回判検事登用試験に合格、東京地方裁判所司法官試補、福井、東京、名古屋の各地方裁判所判事、東京、名古屋の各控訴院判事を経て、大正13年大審院判事となり、昭和17年大審院検事に転じ、同年退官。この間、東大法学部講師、6年から明大法学部教授を務める。また明治文化史、憲政史の研究で業績を残し、大正13年吉野作造らと明治文化研究会を設立、「明治文化全集」(全24巻)を編さん、刊行した。昭和8年同研究会会長。著書に「維新前後に於ける立憲思想」「明治警察裁判史」「日本憲政史大綱」「明治維新」(全4巻)「明治文化叢説」「幕末維新之人物」、「尾佐竹猛全集」(実業之日本社)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
尾佐竹猛
おさたけたけき
(1880―1946)
司法官、歴史家。明治13年1月20日、金沢藩士で漢学者の尾佐竹保の長男として生まれる。1899年(明治32)明治法律学校(明治大学の前身)を卒業後、東京、福井、名古屋の各地方裁判所判事を経て、1918年(大正7)東京控訴院判事、24年大審院判事となる。42年(昭和17)12月、後進に道を譲って退官した。地裁判事のころから明治史の研究を始め、『中央法律新報』『法学志林』などに明治文化史、法制史、憲政史などに関する研究を発表し、とくに「維新前後における立憲思想」は高い評価を得て、法学博士となる。24年吉野作造、宮武外骨(みやたけがいこつ)、小野秀雄(ひでお)らとともに明治文化研究会を設立、『明治文化全集』24巻を編集刊行して、明治史研究に大きな功績を残した。自らも厳密な考証に基づく文献主義的学風を確立して、前記著書のほか『明治憲政史大綱』(1938)、『明治憲政史の研究』(1943)をはじめ多くの著書を残した。昭和21年10月1日没。
[池田政章]
『『尾佐竹猛全集』全15巻(1948~49・実業之日本社)』
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尾佐竹猛 (おさたけたけき)
生没年:1880-1946(明治13-昭和21)
実証主義的な憲政史研究に先鞭をつけた歴史家。司法官。石川県生れ。明治法律学校(現,明治大学)卒業。地裁・控訴院判事を経て,1924年より大審院判事。42年退官。1924年に吉野作造ら8名と明治文化研究会を創立し,《明治文化全集》《幕末明治新聞全集》などを編集。主著に《維新前後における立憲思想》《明治維新》などがあり,《賭博と掏摸の研究》ほか,社会史に注目した研究も多い。新史料の発掘や聞書きを利用しての研究が光る。特定の史観に立って史実を裁断せず,常識による解釈をその主義とした。戦時下にも時流におもねらなかった。
執筆者:宇野 俊一
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尾佐竹猛【おさたけたけき】
司法官,歴史家。金沢出身。1899年明治法律学校(現,明治大学)卒業後,判事,1924年大審院判事。1942年同検事となり退官。その間明治史,特に憲政史を研究して吉野作造,宮武外骨らとともに明治文化研究会をつくり,《明治文化全集》を編集。主著に《日本憲政史大綱》《明治維新》(未完)などがあるほか,奇書《賭博と掏模(すり)の研究》をものしている。
→関連項目石井研堂
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尾佐竹猛
おさたけたけき
[生]1880.1.20. 金沢
[没]1946.10.1. 東京
明治~昭和の司法官,史学者。父は加賀藩士の漢学者。 1899年,明治法律学校を卒業,法学士となり,司法省に入る。東京ほか各地の地方裁判所判事を経て東京控訴院判事,次いで大審院判事となる。 1942年退官。この間,幕末,維新史,明治憲政史の確立に大きく貢献した。尊王史観に対抗し,佐幕的見地から史料実証主義に基づく史実修正に尽力,『明治維新』 (4巻,1942~49) を上梓し,さらに東京大学法学部講師となって吉野作造教授らとともに『明治文化全集』 (24巻) の編纂にあたった。『維新前後における立憲思想』により,法学博士号を受けた。
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尾佐竹猛
おさたけたけき
1880.1.20~1946.10.1
明治~昭和期の日本近代史家・司法官。法学博士。石川県出身。明治法律学校卒。福井地方裁判所・東京控訴院の判事をへて1924年(大正13)大審院判事。かたわら明治維新に強い関心を抱き,維新を立憲政治実現への過程とする視点から日本憲政史の実証的研究を進めた。吉野作造らと明治文化研究会を組織し「明治文化全集」を編集・刊行。憲政史学派の中心的存在として多くの著作を発表するとともに,憲法制定や自由民権運動などに関する第1次史料の調査・収集に貢献した。著書「維新前後における立憲思想」「日本憲政史」「日本憲政史大綱」「明治維新」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
尾佐竹猛 おさたけ-たけき
1880-1946 明治-昭和時代前期の司法官,歴史学者。
明治13年1月20日生まれ。福井,東京の地方裁判所判事などをへて,大正13年大審院判事,昭和17年大審院検事。憲政史などの研究者としても知られ,吉野作造らと明治文化研究会を組織。「明治文化全集」全24巻を編集,刊行。明大教授。昭和21年10月1日死去。67歳。石川県出身。明治法律学校(現明大)卒。著作に「日本憲政史」など。
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尾佐竹 猛 (おさたけ たけき)
生年月日:1880年1月20日
明治時代-昭和時代の司法官僚;日本史学者。法学博士;大審院検事
1946年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の尾佐竹猛の言及
【タロット】より
…したがって組合せの秘密に通じた者は,そこから世界の隠された秘密を自在に読み解くことができるのである。なお,日本の〈[うんすんかるた]〉との類似に注目する向きもあり,たとえば尾佐竹猛は〈スペインのタロッキーというカルタは,確かに“うんすんかるた”に近い形式である〉(《賭博と掏摸の研究》)と,うんすんかるたのタロット起源を示唆している。[トランプ]【種村 季弘】。…
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