尾崎喜八(読み)オザキ キハチ

20世紀日本人名事典 「尾崎喜八」の解説

尾崎 喜八
オザキ キハチ

大正・昭和期の詩人,随筆家



生年
明治25(1892)年1月31日

没年
昭和49(1974)年2月4日

出生地
東京市京橋区鉄砲州(現・東京都中央区)

学歴〔年〕
京華商〔明治42年〕卒

経歴
明治42年中井銀行に就職。この頃から文学に親しみ、44年高村光太郎を知る。光太郎の知遇を得、千家元麿ら白樺派の詩人と接近し、人道主義、理想主義的立場から詩作を始める。大正9年朝鮮銀行に就職し京城に渡る。11年「空と樹木」で詩壇に登場、13年「高層雲の下」を刊行、昭和2年「曠野の火」を刊行。“山と高原の詩人”と称され、山、高原に関する随筆も多い。「旅と滞在」「行人の歌」「高原詩抄」「花咲ける孤独」「田舎のモーツァルト」などの詩集、「山の絵本」などの随筆、訳詩、訳文など著書は数多く、「尾崎喜八詩文集」(全10巻 創文社)が刊行されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾崎喜八」の意味・わかりやすい解説

尾崎喜八
おざききはち
(1892―1974)

詩人。東京・京橋の裕福な回漕(かいそう)店を営む家に生まれる。京華商業学校卒業。英語のほかにドイツ語やフランス語を独学し、訳詩や訳文も多い。若くして高村光太郎の知遇を得て、その感化のもとに詩人として出発する。いわゆる芸術派とも民衆詩派とも距離をおいて、その語学力によってロマン・ロランヘッセカロッサなどから文学と人生に関する養分を吸収し、現実社会と一歩隔てた位置で、自然と内面の照応に独自の詩境を深めた。『空と樹木』(1922)以下『田舎(いなか)のモーツアルト』(1966)など多数の詩集と『山の絵本』(1935)などの随想集、『近代音楽家評伝』(1916)などの翻訳もある。

[角田敏郎]

『『尾崎喜八詩文集』全10巻(1975・創文社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾崎喜八」の解説

尾崎喜八 おざき-きはち

1892-1974 大正-昭和時代の詩人。
明治25年1月31日生まれ。武者小路実篤(さねあつ)ら白樺派の影響をうけ,大正11年第1詩集「空と樹木」を刊行。大正末期から登山をはじめ,昭和33年串田孫一らと「アルプ」を創刊した。昭和49年2月4日死去。82歳。東京出身。京華商業卒。詩集に「行人の歌」「花咲ける孤独」など。
【格言など】私は言葉を「物」として選ばなくてはならない(「行人の歌」)

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367日誕生日大事典 「尾崎喜八」の解説

尾崎 喜八 (おざき きはち)

生年月日:1892年1月31日
大正時代;昭和時代の詩人;随筆家
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報