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山上宗二 ヤマノウエソウジ

デジタル大辞泉の解説

やまのうえ‐そうじ〔やまのうへ‐〕【山上宗二】

[1544~1590]安土桃山時代茶人の人。薩摩屋と号する商人で、千利休に茶を学び、豊臣秀吉に仕えた。のちに放逐され、諸国流浪ののち小田原の陣で再び秀吉と対面したが、不興をかい処刑されたと伝える。茶の湯秘伝書「山上宗二記」は茶道史の基本史料。

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百科事典マイペディアの解説

山上宗二【やまのうえそうじ】

安土桃山時代の茶人。堺の町人千利休門人。豊臣秀吉,のち小田原の北条氏の保護をうけていたが,秀吉の勘気にふれ殺されたという。著書《山上宗二記》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山上宗二 やまのうえ-そうじ

1544-1590 織豊時代の茶人。
天文(てんぶん)13年生まれ。千利休の高弟。豊臣秀吉の茶頭(さどう)となるが,機嫌をそこねて浪人し各地を流浪。秀吉の小田原攻めの際,利休のとりなしでゆるされるが,ふたたび怒りにふれ天正(てんしょう)18年4月11日(一説に2月27日)殺された。47歳。号は瓢庵。屋号は薩摩(さつま)屋。著作に「山上宗二記」。
【格言など】上を麤相(そそう),下を律義に信あるべし(「山上宗二記」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

山上宗二

没年:天正18.4.11(1590.5.14)
生年:天文13(1544)
安土桃山時代の堺の茶人。千利休の高弟。屋号薩摩屋。瓢庵と号した。堺の商人山上宗壁の子。永禄8(1565)年ごろから茶会を行う。初め織田信長に仕えてその茶会に参仕。天正2(1574)年には信長による奈良東大寺の沈香蘭奢待の切り取りにも同行した。信長の没後,豊臣秀吉に仕えて茶事に従事。その間,浪人するが復帰。天正14年10月,奈良で行われた豊臣秀長の茶会に茶頭を勤めたのを最後として高野山に登る。1年ほど滞在して安養院,成就院住職などに茶の湯を指南。16年,小田原の北条氏をたよって下向。その地で茶の湯を指導。同18年秀吉の小田原攻めに伺候したが,勘気に触れて斬刑に処せられた。宗二によって記された秘伝書『山上宗二記』は,当時の代表的茶道具の評価を記すとともに,利休の茶の湯を伝えるものとして貴重な文献となっている。この伝書をいつごろから記し始めていたのかはっきりしないが,高野山に登る以前,すでに3人に与えており,以降,没年までに10人前後に与えたことが知られている。ほとんどが写本として伝えられているが,天正16年2月に雲州岩屋寺に宛てられた『山上宗二記』(表千家蔵)は自筆本と考えられており,茶の湯の最も盛んであった安土桃山時代のありさまを知ることのできる信頼性のある資料として,その評価はすこぶる高い。<参考文献>『日本の茶書』(平凡社東洋文庫)

(谷端昭夫)

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世界大百科事典 第2版の解説

やまのうえのそうじ【山上宗二】

1544‐90(天文13‐天正18)
安土桃山時代の茶匠。千利休の高弟。堺の山上(やまのうえ)に住んでいたためこれを姓とした。屋号は薩摩屋。号は瓢庵。織田信長より李安忠唐絵《瘦馬絵(やせうまのえ)》を賜与されているので,信長に参仕していたらしいことがわかる。豊臣秀吉から堺衆茶匠として召されたが,生来の狷介(けんかい)な性情により秀吉に逆らい,不興を買って浪人した。一時,前田利家を頼って加賀に召されたが,やがて浪人,高野山に登るなど流浪ののち,1588年(天正16)東国に下り小田原北条氏を頼った。

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大辞林 第三版の解説

やまのうえのそうじ【山上宗二】

1544~1590) 安土桃山時代の茶人。堺の人。号、瓢庵。千利休の高弟。秀吉の怒りを買い惨殺された。著「山上宗二記」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山上宗二
やまのうえのそうじ
(1544―1590)

安土(あづち)桃山時代の茶人。千利休(せんのりきゅう)の高弟。屋号薩摩(さつま)屋、瓢庵(ひょうあん)と号す。苗字(みょうじ)・庵(あん)号から推測するに、堺(さかい)に多い前方後円墳上に住んだものか。利休に師事すること二十余年、のち利休と同じく豊臣(とよとみ)秀吉の茶頭(さどう)となるが、勘気をこうむり放逐され、浪々の身となる。その後、小田原城主北条(ほうじょう)氏のもとに身を寄せたが、これには北条氏の家臣板部岡(いたべおか)融成(号江雪斎(こうせつさい))の尽力に負うところが大きかったようである。1590年(天正18)、秀吉の小田原征伐の際、利休のとりなしで秀吉の小田原陣に参向したが、またまた直言して怒りを買い、耳鼻をそがれたうえ、殺された(『長闇堂記』)。『山上宗二記』(一本)の付箋(ふせん)に所見する「天正(てんしょう)十六年、宗二四十五歳」との記事に従えば、享年は47歳であったことになる。茶の湯に関して一家言をもち、浪々の間に著した『山上宗二記』は、先の江雪斎あてのものをはじめ数種があり、伝授相手によって内容に多少差があるが、茶の湯の歴史、各種名物道具の由緒、茶湯者の要件、茶人伝、あるいは武野紹鴎(たけのじょうおう)、利休についての記述を含み、当代の茶の湯に関する貴重な文献となっている。[村井康彦]

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世界大百科事典内の山上宗二の言及

【わび(侘)】より

…《侘之文》では〈正直に慎しみ深く,おごらぬ様〉を〈侘〉としているが,《南方録(なんぼうろく)》にいうように,紹鷗のわびは,豪華絢爛(けんらん)たる名物揃いの茶を味わい尽くしたうえで到達する無一物の境地で,激しい対極の美を内包する意識であった。千利休と同時代の山上宗二(やまのうえのそうじ)の茶書によれば,〈一物も持たず,胸の覚悟一,作分一,手柄一,此三箇条〉をあわせ持つのが〈侘数寄〉すなわち〈侘茶人〉であるとしている。つまり,名物道具などすぐれた器物はいっさい持たぬかわりに茶人としてすぐれた境地と技術を持つことである。…

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