山口組(読み)ヤマグチグミ

デジタル大辞泉 「山口組」の意味・読み・例文・類語

やまぐち‐ぐみ【山口組】

兵庫県神戸市に主たる事務所を置く、全国最大規模の指定暴力団。大正4年(1915)、元漁師で自ら沖仲仕だった山口春吉が同業者の手配業を始めたのが起源。その後、興行界などにも進出し、三代目田岡一雄時代勢力を伸ばした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山口組」の意味・わかりやすい解説

山口組
やまぐちぐみ

国内最大の指定暴力団本部事務所は兵庫県神戸市灘(なだ)区。警察庁の資料によれば、2015年(平成27)12月における構成員数は約6000人、準構成員等が約8000人で、傘下組織は約60団体である。勢力範囲山形、広島、沖縄を除く44都道府県。現在の6代目組長は篠田建市(しのだけんいち)(1942― 。通称、司忍(つかさしのぶ))で、弘道(こうどう)会(本部・愛知県名古屋市)の出身者である。

 山口組は、1915年(大正4)に沖仲仕だった山口春吉(やまぐちはるきち)(1881―1938)が、同業の港湾労働者など50人余りを束ねた組織を起源とする。1946年(昭和21)に3代目として組を継いだ田岡一雄(1913―1981)の時代に、組織として急成長を遂げた。山口組は神戸港の港湾関係や芸能興行の利権で得た資金を背景に、全国で対立抗争を繰り広げ、各地の有力暴力団を傘下に収め、その配下団体や準構成員などをそのまま吸収して系列組織とし、急速に組織を巨大化させた。

 国内の暴力団全体の規模は、1963年をピークに下降傾向をたどっているが、山口組は勢力の減衰に比較的歯止めをかけてきた組織であり、1980年時点で2府33県を勢力範囲とし、団体数559、構成員数は1万1878人に及んでいた。団体数では、当時それに次ぐ勢力だった住吉連合会の108団体を大きく上回っている。その後、1984年に竹中正久(1933―1985)が4代目組長に就任したことをきっかけに、組織は分裂する。反対派が一和(いちわ)会を結成したため、激しい対立抗争に発展した。この1984年から1989年(平成1)まで続いた抗争は山一抗争とよばれる。この間に、射殺された竹中組長をはじめ、警官や市民まで巻き込み、多くの死傷者を出す結果となった。

 山一抗争を契機に、社会全体で暴力団排除の動きがいっそう強まった。1992年には暴力団対策法が施行され、さらに、全国各地で暴力団排除条例などが制定されたことにより、組織どうしの武力衝突を抑制し、暴力団の資金源を断つ規制の動きが広がった。山口組はこうした逆風下にあっても、しぶとく資金源を獲得している。バブル期には不動産投資や株取引、近年では、特殊詐欺や貧困ビジネスへの関与が取りざたされている。

 しかし、2015年8月には資金集めに窮する厳しい状況が表面化し、ふたたび組織が分裂すると、対立抗争状態に陥った。山口組では、直系二次団体の組長72人のうち、組織の人事や高額の上納金に不満を募らせていたとされる13団体の組長が、山口組から離脱した。これらの組長らに対し山口組から絶縁や破門の処分が行われたことから、離脱組が結集し、山健(やまけん)組組長の井上邦雄(1948― )を組長とする神戸山口組(本部・兵庫県淡路(あわじ)市)が結成された。新団体の神戸山口組も、2016年4月に兵庫県公安委員会により指定暴力団とされた。以降、双方による小競り合い状態が続いており、2016年5月と7月には、それぞれ岡山市と名古屋市で神戸山口組系の幹部が射殺される事件などが起きている。

[編集部 2017年2月16日]

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知恵蔵 「山口組」の解説

山口組

山口組分裂」のページをご覧ください。

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