最澄(さいちょう)が樹立しようとした、天台宗の僧の養成についての規則。最澄は、自然現象の順調な推移、災害なき国家を実現するためには、純粋な大乗の僧(菩薩(ぼさつ)僧)の養成が不可欠と考えた。そこで、天台宗の僧には、奈良で行われていた小乗の戒律による受戒の制度を離れて、比叡(ひえい)山上に新たに大乗戒壇を設けて大乗の戒によって授戒のうえ僧の資格を与え、授戒後は20年間を比叡山上で学問修行させる規則をつくって朝廷の許可を求めた。最初に天台法華宗(ほっけしゅう)年分(ねんぶん)学生式(六条式)を818年(弘仁9)5月13日に、ついで勧奨(かんしょう)天台宗年分学生式(八条式)を同年8月27日に、天台法華宗年分度者回小向大(えしょうこうだい)式(四条式)を翌年3月15日に提出した。以上三つの式を総称して山家学生式という。しかし奈良の仏教界の反対があって許可されず、最澄は『顕戒論(けんかいろん)』などの著作を行って、その戒律思想の正統性を訴えた。しかし彼の生存中にはついに許されず、没後7日目の822年6月10日に至って許され、翌年から天台宗では新制度による授戒が行われた。
[田村晃祐]
『安藤俊雄・薗田香融校注『日本思想大系4 最澄』(1974・岩波書店)』▽『石田瑞麿著『日本仏教における戒律の研究』(1963・在家仏教協会)』
最澄の著。818年(弘仁9)5月13日付の《天台法華宗年分学生式(六条式)》,同年8月27日付の《勧奨天台宗年分学生式(八条式)》,翌819年3月15日付の《天台法華宗年分度者回小(えしよう)向大式(四条式)》の3部を総称していう。いずれも天台宗の年分学生(年分度者)の修業年限や課程を規定したもの。山家とは天台宗の意。従来,大僧(比丘(びく))になるには南都の戒壇で小乗戒を受けねばならなかったが,最澄は,天台宗の独立をはかり,大乗戒の菩薩僧を養成するための条式を制定した。《六条式》では806年(大同1)に勅許された天台宗の年分度者には大乗戒を授け,12年間籠山(ろうざん)せしめて所定の修学を課すこと,《八条式》では12年間の修学の方法,学生の待遇などを,それぞれ定めている。《四条式》は天台宗年分の学生ならびに他宗より来た者は小乗戒を受けることを禁じ,大乗戒をもって大僧となさんとする制条で,大乗戒壇設立の宣言といえる。僧綱のはげしい攻撃をうけ,最澄は《顕戒論》を著して反論した。
執筆者:中井 真孝
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天台宗僧養成の課程を定めて勅許を請うたもの。1巻。最澄(さいちょう)著。818年(弘仁9)5月奏上の「天台法華宗年分学生式(六条式)」,同年8月奏上の「勧奨天台宗年分学生式(八条式)」,翌年3月奏上の「天台法華宗年分度者回小向大式(四条式)」の3首からなる。「六条式」は天台宗僧を大乗菩薩僧として養成するための天台宗独自の大乗戒受戒,比叡籠山,毎日の行業,課程修了後の任用などの法式を提示し,「八条式」はその細則。「四条式」は問題を受戒にしぼって大乗戒受戒という独自の法式を前面にだし,その論拠を提示したもの。本式の提唱は南都の猛反対にあい,最澄は改めて「顕戒論(けんかいろん)」を奏上し,勅許を求めたが生前は許されず,822年,最澄没後の7日目に認可された。「日本思想大系」所収。
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…最澄は自己の教学の優越性に自信を深め,そして究極の目的とする大乗戒壇の設立に邁進した。かつて19歳のとき東大寺で受けた小乗戒は,まったく形式主義に堕し,国家鎮護・衆生済度の大任を果たしえないとして,818年みずから破棄を宣言し,ついで《山家学生(さんげがくしよう)式》を定め,天台宗の年分度者は比叡山において大乗戒を受けて菩薩僧となり,12年間山中で修行することを義務づけた。これに対して南都の僧綱は猛然と反論した。…
※「山家学生式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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