山本豊市(読み)ヤマモト トヨイチ

20世紀日本人名事典 「山本豊市」の解説

山本 豊市
ヤマモト トヨイチ

大正・昭和期の彫刻家 東京芸術大学名誉教授。



生年
明治32(1899)年10月19日

没年
昭和62(1987)年2月2日

出生地
東京・新宿

本名
山本 豊

学歴〔年〕
錦城中〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日美術賞〔昭和28年〕,芸術選奨文部大臣賞〔昭和33年〕「女の顔」,勲三等瑞宝章〔昭和46年〕,文化功労者〔昭和58年〕

経歴
戸張孤雁に学んだのち、大正7年太平洋画会研究所に入りデッサンを学ぶ。13年渡仏してマイヨール師事。昭和3年帰国し、マイヨールを日本に紹介。戦時中に乾漆彫刻を始め、戦後サンパウロビエンナーレベネチア・ビエンナーレ出品。36年彫刻家集団・SAS結成。38〜50年国画会彫刻部会員。また28年から42年まで東京芸大教授を務めた。58年文化功労者。主な作品に「岩戸神楽」「立女」「大船観音」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本豊市」の意味・わかりやすい解説

山本豊市
やまもととよいち

[生]1899.10.19. 東京
[没]1987.2.2. 東京
彫刻家。 1917年戸張孤雁に師事,18年太平洋画会研究所に入る。 21年第8回再興院展に入選,以後同展に出品。 24年渡仏,25年から A.マイヨールに師事。帰国後,日本の伝統的素材である漆を西洋的な造形に生かした乾漆 (→乾漆像 ) の作品は,日本古来の素材を近代彫刻のなかによみがえらせたものとして高く評価された。 32年日本美術院同人,50年新樹会会員,53~67年東京芸術大学教授。 61年には SAS (彫刻家集団) を結成。 67年愛知芸術大学教授。 83年文化功労者。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本豊市」の意味・わかりやすい解説

山本豊市
やまもととよいち
(1899―1987)

彫刻家。東京・四谷(よつや)に生まれる。錦城(きんじょう)中学校卒業後、彫刻家を志して1917年(大正6)戸張孤雁(こがん)に師事、太平洋画会研究所に学んだ。21年第8回日本美術院展に『トルソ』が初入選、23年院友に推挙された。24年フランスに渡り、マイヨールに師事。29年(昭和4)シベリア経由で帰国し、32年日本美術院同人になった。わが国古来の乾漆彫刻を研究、乾漆による独自の作風を展開した。50年(昭和25)新樹会会員。53年第5回毎日芸術賞を、58年芸術選奨文部大臣賞を受賞した。61年日本美術院彫刻部解散後は、彫刻家集団S・A・Sを経て国画会会員。また東京芸術大学、愛知芸術大学教授を務め、83年文化功労者に選ばれた。

三木多聞

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本豊市」の解説

山本豊市 やまもと-とよいち

1899-1987 大正-昭和時代の彫刻家。
明治32年10月19日生まれ。戸張孤雁(とばり-こがん)に師事し,のちフランスでマイヨールにまなぶ。乾漆技法による彫刻作品で評価をえた。昭和28年東京芸大教授。58年文化功労者。昭和62年2月2日死去。87歳。東京出身。錦城中学卒。本名は豊。作品に「岩戸神楽」「エチュード」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山本豊市」の解説

山本 豊市 (やまもと とよいち)

生年月日:1899年10月19日
大正時代;昭和時代の彫刻家。東京芸術大学教授
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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