戸張孤雁(読み)トバリコガン

デジタル大辞泉 「戸張孤雁」の意味・読み・例文・類語

とばり‐こがん【戸張孤雁】

[1882~1927]彫刻家東京の生まれ。旧姓志村本名亀吉。叙情味あふれる作品制作版画水彩画でも活躍

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精選版 日本国語大辞典 「戸張孤雁」の意味・読み・例文・類語

とばり‐こがん【戸張孤雁】

  1. 彫刻家。本名亀吉。東京出身。渡米して絵画を学ぶうち荻原守衛の影響で彫刻に転じた。帰国後院展系の作家として活躍。彫刻のほか挿絵、水彩、版画など多方面に才能を発揮し「孤雁挿画集」を出版。水彩画会・日本創作版画協会の創立に関与。彫刻の代表作に「虚無」「足芸」「煌めく嫉妬」など。明治一五~昭和二年(一八八二‐一九二七

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸張孤雁」の意味・わかりやすい解説

戸張孤雁
とばりこがん

[生]1882.2.19. 東京,日本橋
[没]1927.12.9. 東京
彫刻家。本名亀吉。旧姓志村,のち母の生家戸張家を継ぎ改姓。1901年洋画研究のためアメリカ合衆国へ渡り,美術学校のナショナル・アカデミーで素描油絵,挿絵を学び,同アカデミーで荻原守衛を知り彫刻にひかれる。1906年結核のため帰国。洋風挿絵の普及に努め,徳冨蘆花の随筆小品集『自然と人生』の挿絵を描くなどした。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入り,同 1910年第4回文展に『をなご』を出品。以後文展に出品を続けたが 1916年再興日本美術院(→日本美術院)彫刻部に転じ,1917年同人となる。中原悌二郎らとともに院展を代表する作家として活躍。その光と影を知的に取り入れた流れるような肉づけは高く評価された。1918年に山本鼎織田一磨らと日本創作版画協会の結成に参加,幅広く活躍した。主要作品に『足芸』(1914,東京国立博物館),『虚無』(1920,三重県立美術館),『煌めく嫉妬』(1924,東京国立近代美術館),版画『玉乗り』(1914)など。

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20世紀日本人名事典 「戸張孤雁」の解説

戸張 孤雁
トバリ コガン

明治・大正期の彫刻家,版画家,挿絵画家



生年
明治15(1882)年2月19日

没年
昭和2(1927)年12月9日

出生地
東京府日本橋区本小田原町(現・東京都中央区)

本名
戸張 亀吉

旧姓(旧名)
志村

経歴
明治31年日銀に給仕として就職し、翌年片山潜の塾で英語を学ぶ。34年洋画研究のため渡米し、ニューヨークで海洋画家リチャースの下男をしながら、油絵と挿絵を勉強。荻原守衛を知ったが、肺結核となり39年帰国。木下尚江「乞食」や徳冨蘆花「不如帰」の小説の挿絵を描き、40年「孤雁挿画集」を出版。のち洋風挿絵研究会を起こしたが、荻原の影響で43年太平洋画会研究所彫塑部に入り、同年第4回文展に彫刻「をなご」を初出品。大正6年には院展彫刻部同人となった。またこれと前後して、2年石井柏亭らと日本水彩画会、7年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創設している。彫刻作品に「曇り」「足芸」「虚無」「煌めく嫉妬」、木版画に「玉乗り」など。著作に「創作版画と版画のつくり方」「孤雁遺集」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「戸張孤雁」の意味・わかりやすい解説

戸張孤雁 (とばりこがん)
生没年:1882-1927(明治15-昭和2)

彫刻家。東京日本橋に生まれる。本名亀吉。旧姓は志村。母の実家戸張家をつぐ。1901年アメリカに渡り,ニューヨークのナショナル・アカデミーなどで絵画を学び荻原守衛を知る。06年病気のため帰国。洋風挿絵で活躍したが,太平洋画会研究所に入り,荻原の刺激で彫刻に転じた。はじめ文展に出品,受賞したが,16年再興日本美術院彫刻部に転じ,同人となった。肉付けの美しい抒情的な作風で,大正期彫刻の異色ある存在である。代表作に《足芸》《煌(きら)めく嫉妬》があり,創作版画に《玉乗り》などがある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戸張孤雁」の意味・わかりやすい解説

戸張孤雁
とばりこがん
(1882―1927)

彫刻家、版画家。東京生まれ。本名亀吉、旧姓志村。母の生家戸張家を継ぐ。1901年(明治34)洋画研究のため渡米、海洋画家リチャーズの学僕となったが、06年病のため帰国、洋風挿絵の普及に努めたりした。翌年太平洋画会研究所に入ったが、滞米中から親交のあった荻原守衛(おぎわらもりえ)の帰国後、その刺激で彫刻に転じた。10年文展に入選、受賞したりしたが、16年(大正5)日本美術院彫刻部に移り、翌年同人になった。光と影を知的に取り入れた流動的で美しい肉づけをもち、初期のロマンチックな作風から晩年はニュアンスに富んだ作風に移行した。中原悌二郎(ていじろう)とともに大正期彫刻界の異色ある存在であり、病弱の身で水彩画会(1913)、日本創作版画協会(1918)の創立に参加するなど、多方面に才能を発揮した。代表作に彫刻の『足芸』『虚無』『煌(きら)めく嫉妬(しっと)』など、版画の『玉乗り』『千住(せんじゅ)大橋の雨』など。

[三木多聞]

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百科事典マイペディア 「戸張孤雁」の意味・わかりやすい解説

戸張孤雁【とばりこがん】

彫刻家。本名志村亀吉。東京生れ。初め洋画を学んだが,親交のあった荻原守衛の刺激を受けて彫刻に進み,文展に出品。のち,ロダンの影響濃い作風が文展と合わず,1916年院展に移った。代表作《女》《虚無》など。版画,さし絵の作品も多い。
→関連項目藤井浩佑

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸張孤雁」の解説

戸張孤雁 とばり-こがん

1882-1927 明治-昭和時代前期の彫刻家,版画家。
明治15年2月19日生まれ。34年渡米して油絵,洋風挿絵をまなぶ。滞米中に荻原守衛(もりえ)にあい,帰国後彫刻に転じ,文展に出品。大正6年日本美術院同人となる。7年日本創作版画協会の創設に参加。昭和2年12月9日死去。46歳。東京出身。旧姓は志村。本名は亀吉。代表作に彫刻「足芸」「煌(きらめ)く嫉妬(しっと)」,版画「玉乗り」。

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367日誕生日大事典 「戸張孤雁」の解説

戸張 孤雁 (とばり こがん)

生年月日:1882年2月19日
明治時代;大正時代の彫刻家;版画家;挿絵画家
1927年没

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