山村才助(読み)ヤマムラサイスケ

デジタル大辞泉 「山村才助」の意味・読み・例文・類語

やまむら‐さいすけ【山村才助】

[1770~1807]江戸後期の蘭学者地理学者常陸ひたち土浦藩士。名は昌永まさなが大槻玄沢蘭学を学ぶ。新井白石の「采覧異言」、西川如見の「四十二国人物図説」を訂正増補した。著作「西洋雑記」「印度志」「魯西亜国志」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山村才助」の意味・わかりやすい解説

山村才助
やまむらさいすけ
(1770―1807)

江戸中期の世界地理学者。名は昌永、字(あざな)は子明、夢遊道人と号した。土浦藩士の子として江戸藩邸に生まれる。大槻玄沢(おおつきげんたく)に蘭学(らんがく)を学び、新井白石(あらいはくせき)著『采覧異言(さいらんいげん)』の誤りを多数の内外参考書によって訂正したうえで、オランダ語地理書から訳出して大幅に増補し、1802年(享和2)『訂正増訳采覧異言』として幕府に献じた。このほか幕命による『魯西亜(ろしあ)国志』をはじめ多数の海外地誌・紀行史書訳述がある。幕府要職者や手写を通じて識者の海外知識源となり、思想的に開明守旧の別なく賞賛された。没後公刊されたのは、内容が一般受けする『西洋雑記』と剽窃(ひょうせつ)本『海外人物輯(しゅう)』『改正海外諸島図説』にとどまるのは惜しい。

石山 洋]

『鮎沢信太郎著『山村才助』(1959/新装版・1989・吉川弘文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「山村才助」の意味・わかりやすい解説

山村才助 (やまむらさいすけ)
生没年:1770-1807(明和7-文化4)

江戸後期の地理学者。名は昌永,号は夢遊道人,才助は通称。土浦藩士。地理学を好み,1789年(寛政1)大槻玄沢の芝蘭堂に入ってオランダ語を学び,世界地理学の研究に従事した。主著の《訂正増訳采覧異言》(1820成稿)は新井白石の《采覧異言》の誤りを訂し,さらに増補したもので,江戸時代を通じて最良の世界地理書と評価されている。ほかに《西洋雑記》など翻訳が多数ある。
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百科事典マイペディア 「山村才助」の意味・わかりやすい解説

山村才助【やまむらさいすけ】

江戸後期の蘭学・地理学者。名は昌永(まさなが),字は子明。儒学者市河寛斎(いちかわかんさい)の甥(おい)。常陸(ひたち)国土浦藩士。大槻玄沢(おおつきげんたく)の芝蘭堂(しらんどう)に学ぶ。新井白石の《采覧(さいらん)異言》を蘭書《万国航海図説》などによって増補改訂して《訂正増訳采覧異言》を著した。これは五大州の地理・地図に関する江戸時代最高の書。著書《華夷一覧図説》《西洋雑記》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山村才助」の解説

山村才助 やまむら-さいすけ

1770-1807 江戸時代後期の蘭学者。
明和7年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)土浦藩士。大槻玄沢(おおつき-げんたく)にまなび世界地理を研究。新井白石の「采覧異言(さいらんいげん)」を改訂し「訂正増訳采覧異言」をあらわした。文化4年9月19日死去。38歳。名は昌永(まさなが)。字(あざな)は子明。号は夢遊道人。著訳書に「魯西亜(ロシア)国志」「西洋雑記」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山村才助」の解説

山村才助
やまむらさいすけ

1770〜1807
江戸後期の蘭学者
名は昌永 (まさなが) 。常陸 (ひたち) (茨城県)土浦藩士。世界地理を研究。著書に『訂正増訳采覧異言』『魯西亜 (ロシア) 国志』など。

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