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西川如見 にしかわじょけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西川如見
にしかわじょけん

[生]慶安1(1648).長崎
[没]享保9(1724).8.10. 長崎
江戸時代中期の天文暦学家。名は忠英,号は求林斎。通称は次郎右衛門。鍛冶業を営み鉄器販売を行う忠益の子。家業を継いだが,20歳の頃,京都の儒者南部艸寿に朱子学を,林吉佐衛門に天文暦学を学び,先儒の諸説や西洋の説を参酌して一家の見を立てた。 50歳で,長子の正昌に家業を譲って隠居。享保3 (1718) 年将軍徳川吉宗に招かれて江戸に行き,洋学についての下問に応じた。『町人嚢』で如見は町人生活の意義を積極的に主張するが,それは単に武士に対して町人生活は楽しいことを語るだけではなかった。より根本的には,人間における貴賤尊卑の否定つまり四民の本質的平等と人間の尊厳性の把握に基づくものであった。また『百姓嚢』では日本の男女関係における悪習を批判し,一夫一婦思想を説いている。これらの時代的制約をこえた主張は彼が広い世界的な視野をもっていたことと関連する。そして実際『日本水土考』 (20) では国土の自然環境から国柄や,国民性を理解できるとして,国土論的考察を展開している。著書はほかに『華夷通商考』 (1695) ,『天文義論』 (1712) ,『長崎夜話草』 (19) など多数。

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デジタル大辞泉の解説

にしかわ‐じょけん〔にしかは‐〕【西川如見】

[1648~1724]江戸中期の天文地理学者。長崎の人。名は忠英。号、求林斎(ぐりんさい)。宋学・天文暦算を学び、儒教的自然観をとりつつ実証主義的見地を展開した。晩年、徳川吉宗に仕えた。著「華夷通商考」「町人嚢(ちょうにんぶくろ)」「天文義論」など。

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百科事典マイペディアの解説

西川如見【にしかわじょけん】

江戸中期の天文学者。名は忠英,号は如見,求林斎。長崎の通詞の出身。儒学を朱子学系の南部艸寿に学ぶ。天文学は師承不詳。《天経或問(わくもん)》の翻刻出版によりヨーロッパ天文学の紹介・流布の役を果たし,渾天儀(こんてんぎ)を簡略化した簡天儀を創製した。
→関連項目華夷通商考ジャガタラ文町人嚢

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西川如見 にしかわ-じょけん

1648-1724 江戸時代前期-中期の天文家。
慶安元年生まれ。西川正休(まさよし)の父。儒学を南部草寿(そうじゅ)に,天文・暦学を林吉左衛門らの学統にまなぶ。享保(きょうほう)4年将軍徳川吉宗の質問にこたえた。享保9年8月10日死去。77歳。肥前長崎出身。名は忠英。通称は次郎右衛門。号は求林斎。著作に「華夷通商考」「天文義論」「百姓嚢(ぶくろ)」など。
【格言など】よろずの事,あまりに自由なるはよからぬ事なり(「町人嚢」)

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江戸・東京人物辞典の解説

西川如見

1648〜1724(慶安元年〜享保9年)【天文・地理学者】庶民の心情も、世界の地理も、どちらも深く理解した町人学者。 天文・地理学者。長崎生まれ。儒学と南蛮系天文・暦学・地理学などを修めた。著した「町人嚢」「百姓嚢」では、町人や農民に道徳を平易に説いている。その一方、「増補華夷通称考」では中国、西洋、南洋の風土や文化を国別にまとめるなど、長崎で得た知識をもとに天文、暦、地理関連の先駆的な著述活動を行った。徳川吉宗に招かれ江戸に赴き、天文、地理の講義を行った。

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世界大百科事典 第2版の解説

にしかわじょけん【西川如見】

1648‐1724(慶安1‐享保9)
江戸中期の長崎の天文学者。名は忠英,通称は次郎右衛門。如見のほか求林斎,金梅庵,淵梅軒とも号した。商家の生れ。儒学を南部草寿に学ぶ。小林義信らの長崎流天文学を受け継ぎ,中国の天文学に西洋天文学を加味した研究を進め,1719年(享保4)将軍徳川吉宗に招かれ下問に答えた。天文学概説書《天文義論》(1712)は儒教的自然観をとりながらも,天を〈命理の天〉と〈形気の天〉にけ,実証主義的思考を示し,《日本水土考》(1720)では日本を地球上の中華とみる見地を展開して,儒者的な中国崇拝観からの移行を示した。

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大辞林 第三版の解説

にしかわじょけん【西川如見】

1648~1724) 江戸中期の天文・地理学者。長崎の人。本名、忠英。通称、次郎右衛門。儒学・天文暦算を修めて、儒学的自然観をとりながらも実証主義的見地をもち、多数の著作を残す。著「華夷通商考」「天文義論」「町人囊」「百姓囊」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西川如見
にしかわじょけん
(1648―1724)

江戸前期の天文地理学者。長崎の人。名は忠英、求林斎と号す。生糸の鑑定を行う地役人(じやくにん)の家に生まれる。20余歳にして学に志し、1672年(寛文12)京都の儒者南部草寿(そうじゅ)(?―1688)について学ぶ。天文暦数を好み、先儒の諸説やヨーロッパ渡来の説を参酌して発明するところ多く、これを書として家に蔵した。50歳で家業を長子に譲り隠居し、天文暦算の研究に励んだ。72歳のとき将軍徳川吉宗(よしむね)の招きに応じ、江戸に赴き天文学の質問に答えた。長崎に帰り、享保(きょうほう)9年、77歳で没した。墓は長崎市長照寺にある。『天文義論』『両儀集説』『天文精要(怪異辨断(べんだん))』『天文和歌註(ちゅう)』『華夷(かい)通商考』『日本水土考』『長崎夜話草』『町人嚢(ちょうにんぶくろ)』その他多くの著書がある。[渡辺敏夫]

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世界大百科事典内の西川如見の言及

【華夷通商考】より

…江戸時代最初の本格的な世界地理書。長崎の西川如見著。1695年(元禄8)初版2巻,1708年(宝永5)増補版5巻を刊行。…

【天文義論】より

…江戸中期の長崎の天文家西川如見の著。1712年(正徳2)に2巻2冊本として出版された。…

【長崎夜話草】より

…5巻。西川如見(忠英)の著。1720年(享保5)に成る。…

※「西川如見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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