真言密教の寺院で,灌頂(かんぢよう)の儀式の際に使用される屛風。文献的には,10世紀ころから宮中などで用いられていた一般的な調度としての屛風が,しだいに灌頂の場に進出し,14世紀には既に重要な灌頂用具となっていたことがわかる。こうした変遷の過程を反映するかのように,現在残された数種類の山水屛風は,画面も制作背景も一様ではない。京都国立博物館所蔵の1帖(国宝)は11世紀後半の制作で,広々と開けた水景と遠く連なる低い山並みを背景に,紙と筆を手に詩想を練る老隠者と,これを訪問する人々の姿を描く。灌頂用具として東寺に伝来した作品だが,本来は宮中などで用いる唐絵屛風として制作されたものと思われる。平安時代の屛風としても現存唯一の作品である。神護寺所蔵の1帖(国宝)は12世紀末~13世紀初期の制作で,なだらかな起伏をみせる山野の中に,貴族男女の語らうさまや里人の働く姿,秋草や鹿など,数多くのモティーフを細密な筆致で描き出している。これも灌頂用具として伝来した屛風だが,本来は宮中や貴族の邸宅で用いる四季絵屛風のうち秋の帖として制作されたものと思われる。平安時代以来の伝統を継承するやまと絵屛風として,現存最古の作品である。ほかに,四季の展開の中に高野山の全域を描いた《高野山水屛風》2帖(重要文化財),空海に縁のある霊地を描いた金剛峯寺所蔵の1帖(重要文化財)などがある。これらはいずれも鎌倉後期の作品で,はじめから灌頂用具として制作されたと考えられる。
執筆者:千野 香織
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山水(さんすい)(風景)を主題に描いた屏風。平安時代には宮中などで盛んに用いられ、また唐絵(からえ)の形式でつくられたものをさした。鎌倉時代以後は真言密教における灌頂(かんじょう)の儀式の際、阿闍梨(あじゃり)の座の背後に立てられるようになり、しだいにこれが慣習化され、密教調度として重用される。最古の遺品、教王護国寺伝来の屏風(京都国立博物館、国宝)は平安時代(11世紀後半)の作で、広遠な山水を背景に草庵(そうあん)の唐詩人を描き、唐絵の様式を伝えるもの。また鎌倉初頭(12世紀末~13世紀初)の神護(じんご)寺のもの(国宝)は、秋の山野の景観に種々の風物を描き込んだ大和(やまと)絵の典型様式になる。これらの屏風には宗教的要素はなく、密教と無関係につくられたものが、のちに寺院の調度に転用されたと思われる。鎌倉後期になると、高野山(こうやさん)の全景を描いた高野山水屏風(堂本家)や真言霊地の風景を描いた金剛峯寺(こんごうぶじ)のものなど、初めから灌頂儀式のためにつくられた屏風の遺品が登場する。
[村重 寧]
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…平安時代になると各扇が折りたためるようになり,六曲屛風を広げると,統一した画面となるものが描かれた。このようなものとして真言宗の灌頂儀式に用いられた世俗画風の《山水(せんずい)屛風》(京都国立博物館,教王護国寺旧蔵)がある。これに対して各扇に一天ずつを配する鎌倉初期の《十二天屛風》(教王護国寺,神護寺)は,各扇独立構図の古様を継承している。…
…三味線音楽の一種目。1933年大倉財閥の2代目大倉喜七郎(1882‐1963)が創始。邦楽に洋楽の発声をとり入れたもので,東明節(とうめいぶし)の影響も認められる。新邦楽の一つの典型とされ,富崎春昇(1880‐1958),宮川源司(清元栄寿郎,1904‐63),原信子(1893‐1979)らが指導者で,代表的な歌い手は岸上きみ(1898‐1962),三島儷子(1905‐88)らであった。68年2派に分裂し,三島改め大和美代葵(みよき)と大和久満(ひさみつ)(芳村伊十七,1938‐ )らの派が活躍。…
※「山水屏風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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