岡安 喜三郎(6代目)
オカヤス キサブロウ
- 職業
- 長唄三味線方
- 肩書
- 岡安派家元
- 本名
- 幸田 嘉郎
- 生年月日
- 大正2年 4月6日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 5代目岡安喜三郎の子。大正9年父の死により8歳で喜三郎を継いだ。三味線の名手で天才をうたわれたが、早世した。作曲に「愛宕竜神」「鉢の木」「歌麿」「旅ゆかば」などがある。
- 没年月日
- 昭和25年 3月26日 (1950年)
- 家族
- 父=岡安 喜三郎(5代目),祖父=岡安 喜三郎(4代目),曽祖父=岡安 喜三郎(3代目)
岡安 喜三郎(4代目)
オカヤス キサブロウ
- 職業
- 長唄三味線方
- 肩書
- 岡安派家元
- 別名
- 前名=岡安 喜三太郎
- 生年月日
- 嘉永2年
- 経歴
- 作曲を得意とし、作品に「日本武尊」「桃太郎」などがある。
- 没年月日
- 明治39年 9月4日 (1906年)
- 家族
- 父=岡安 喜三郎(3代目),息子=岡安 喜三郎(5代目),岡安 南浦(3代目),孫=岡安 喜三郎(6代目)
岡安 喜三郎(5代目)
オカヤス キサブロウ
- 職業
- 長唄三味線方
- 肩書
- 岡安派家元
- 別名
- 前名=岡安 喜久次郎
- 生年月日
- 明治9年
- 経歴
- 明治39年5代目喜三郎を襲名。
- 没年月日
- 大正3年 3月8日 (1914年)
- 家族
- 祖父=岡安 喜三郎(3代目),父=岡安 喜三郎(4代目),弟=岡安 南浦(3代目),息子=岡安 喜三郎(6代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
岡安 喜三郎(6代目)
オカヤス キサブロウ
大正・昭和期の長唄三味線方 岡安派家元。
- 生年
- 大正2(1913)年4月6日
- 没年
- 昭和25(1950)年3月26日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 幸田 嘉郎
- 経歴
- 5代目岡安喜三郎の子。大正9年父の死により8歳で喜三郎を継いだ。三味線の名手で天才をうたわれたが、早世した。作曲に「愛宕竜神」「鉢の木」「歌麿」「旅ゆかば」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
岡安喜三郎(3代)
没年:明治3.11.29(1871.1.19)
生年:寛政4(1792)
江戸後期の長唄唄方。初代岡安喜三郎の門人で,前名喜代八。文久年間(1861~64)に喜三郎を襲名するが,むしろ喜代八の名前で有名。非常な美声家で,天保11(1840)年3月の「勧進帳」初演時に「人目の関」を唄い好評を博す。2代目富士田音蔵,3代目芳村伊十郎(のち2代目吉住小三郎)と共に,天保の三名人。喜三郎の名跡は,平成期までに7代を数える。<参考文献>町田博三『長唄稽古手引草』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
岡安喜三郎(3世)
おかやすきさぶろう[さんせい]
[生]寛政4(1792)
[没]明治3(1870).11.29.
長唄唄方の家元。1世岡安喜三郎の門弟。前名喜代八。嘉永3 (1850) 年3世を襲名,明治1 (68) 年喜翁と改名。天保の三名人の1人に数えられ,特に『勧進帳』の「人目の関」をうたって好評を博したことは有名。
岡安喜三郎(4世)
おかやすきさぶろう[よんせい]
[生]嘉永2(1849)
[没]1906.9.14.
長唄三味線方の家元。3世岡安喜三郎の実子。前名喜三太郎。 12世杵屋六左衛門に三味線を学び,喜三郎家はこれより三味線方となる。『芝八景』『梅暦』『日本武尊』『桃太郎』などを作曲。
岡安喜三郎(6世)
おかやすきさぶろう[ろくせい]
[生]1913.4.6.
[没]1950.3.26.
長唄三味線方の家元。5世岡安喜三郎の実子。前名嘉郎。 1920年6世を襲名。三味線方として嘱望されたが,早逝した。『初午』『歌麿』『旅ゆかば』などの作曲を残した。
岡安喜三郎(7世)
おかやすきさぶろう[ななせい]
[生]1945.2.22. 東京
[没]2001.7.26. 東京
長唄三味線方の家元。6世岡安喜三郎の次男。本名幸田啓一。 1952年7世を襲名。また実兄 (本名安隆) は分家し,2世岡安喜久次を襲名した。
岡安喜三郎(2世)
おかやすきさぶろう[にせい]
[生]?
[没]安政4(1857).4.8.
長唄唄方の家元。1世岡安喜三郎の門弟。前名喜八。文政 11 (1828) 年2世を襲名。天保6 (35) 年醒暁斎と改名した。
岡安喜三郎(5世)
おかやすきさぶろう[ごせい]
[生]1876
[没]1914.3.8.
長唄三味線方の家元。4世岡安喜三郎の次男。前名喜久次郎。 1906年5世を襲名。弟は杵屋巳太郎家の養子となり,5世巳太郎を襲名。
岡安喜三郎(1世)
おかやすきさぶろう[いっせい]
[生]?
[没]文政11(1828).4.8.
長唄唄方の家元。3世岡安源次郎の門弟といわれ,寛政年間より長唄唄方として現れる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
岡安喜三郎(3代) おかやす-きさぶろう
1792-1871* 江戸後期-明治時代の長唄唄方。
寛政4年生まれ。初代喜三郎の門弟。はじめは喜代八を名のり,美声で知られ,天保(てんぽう)11年江戸河原崎座での「勧進帳」初演に2代吉住小三郎とともに立唄をつとめ,人気をえた。文久年間に3代をついだ。明治3年11月29日死去。79歳。
岡安喜三郎(4代) おかやす-きさぶろう
1849-1906 幕末-明治時代の長唄唄方・三味線方。
嘉永(かえい)2年11月生まれ。3代岡安喜三郎の長男。12代杵屋六左衛門の門弟となり,唄方から三味線方に転じる。明治元年4代をつぐ。作曲にもすぐれ「桃太郎」「梅暦」などをのこした。明治39年9月14日死去。58歳。江戸出身。前名は喜三太郎。
岡安喜三郎(6代) おかやす-きさぶろう
1913-1950 大正-昭和時代の長唄三味線方。
大正2年4月6日生まれ。5代岡安喜三郎の子。父の死後,大正9年8歳で6代をついだ。昭和の名手として知られ,将来を期待されたが早世した。「旅ゆかば」「歌麿」などを作曲した。昭和25年3月26日死去。36歳。東京出身。本名は幸田嘉郎。
岡安喜三郎(初代) おかやす-きさぶろう
?-1828 江戸時代後期の長唄唄方。
江戸長唄岡安派の流祖。旗本の子ともいわれ,江戸三味線の3代岡安源次郎の門弟となる。のち杵屋の門にはいり中村座,都座の芝居で活躍した。文政11年4月8日死去。幼名は松下鉄次郎。
岡安喜三郎(5代) おかやす-きさぶろう
1876-1914 明治-大正時代の長唄三味線方。
明治9年生まれ。4代岡安喜三郎の次男で,明治39年5代をついだ。大正3年3月8日死去。39歳。前名は喜久次郎。
岡安喜三郎(2代) おかやす-きさぶろう
1777-1857 江戸時代後期の長唄唄方。
安永6年生まれ。初代喜三郎の門弟で,文政11年2代をついだ。安政4年4月8日死去。81歳。前名は喜八。号は醒暁斎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の岡安喜三郎の言及
【吉住小三郎】より
…もと江戸の四谷で芋屋を営んでいたことから〈芋五郎の小三郎〉と呼ばれた。2世[富士田音蔵],岡安喜代八(1792‐1870)(のちの3世岡安喜三郎)とともに天保の三名人といわれた。(3)3世(1832‐89∥天保3‐明治22) 2世の門弟で前名小太郎。…
※「岡安喜三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」