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岡山城 オカヤマジョウ

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デジタル大辞泉の解説

おかやま‐じょう〔をかやまジヤウ〕【岡山城】

岡山市にある旧岡山藩の城。天正元年(1573)から宇喜多直家秀家の2代にわたり築城。慶長8年(1603)以後は池田氏の居城となる。天守閣が黒色なので烏城(うじょう)とよばれた。月見櫓(やぐら)と西手櫓が現存。金烏城。

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日本の城がわかる事典の解説

おかやまじょう【岡山城〈滋賀県〉】

滋賀県近江八幡市にあった山城(やまじろ)。琵琶湖の湖上に浮かぶ孤島水茎にあった城である(第二次世界大戦後の干拓により、現在は湖岸と陸続きになっている)。水茎には3つの山(丘)があったが、その中で一番高い尾山(標高102m)を中心に築かれていた。この城は、応仁・文明の乱(1467~77年)で活躍した九里美作守賢秀を祖とする九里氏の居城である。1508年(永正5)に、賢秀の孫の九里信隆が琵琶湖の孤島水茎の丘に築いたといわれている。足利義澄(よしずみ)は1493年(明応2)の明応の政変で、10代将軍足利義材(義稙)が廃された後に、11代将軍に擁立されたが、1508年(永正5)に前将軍義尹(義材より改名)の擁立をめざす大内軍が上洛してくるとの報を受けて、近江の六角高頼を頼って朽木谷に逃れ、さらに、築城間もない九里信隆の岡山城に逃れてきた。信隆は城内の御所に義澄を迎え、匿った。このころ、義澄は将軍を廃され、義稙が将軍に返り咲いた。このため、信隆の岡山城は幕府軍3000の攻撃を受けたが、これを撃退している。しかし、信隆は1514年(永正11)、六角氏の謀略によって殺害され、その子浄椿が城主となったが、岡山城は1520年(永正17)に六角定頼の奇襲を受けて落城した。城を失った九里氏の残党は1525年(大永5)に、六角氏と近江八幡市黒橋付近で戦ったが敗北し、九里氏は滅亡、岡山城は廃城となった。かつての城跡は山林になっており、深い藪に覆われているところもあるが、山頂部などに明瞭に確認できる状態ではないが曲輪(くるわ)や堀切、空堀、竪堀などの跡が残っている。JR東海道本線近江八幡駅からバス、元水茎町下車後、徒歩約15分。◇水茎岡山城、尾山城ともよばれる。

おかやまじょう【岡山城〈岡山県〉】

岡山県岡山市の旭川河口の丘陵に築かれた平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。戦国時代に備前西部から勢力を伸ばした宇喜多直家(うきたなおいえ)が、領主の金光氏の居城を接収して本拠とした。その子宇喜多秀家は、豊臣秀吉に従って57万石を領すると、1590年(天正18)に城の大改修に着手、五重の天守を擁する城を完成させ、本丸を設けた丘の名前から、城を岡山城、城下町を岡山と命名した。しかし、秀家は関ヶ原の戦いに敗れ、かわって入封した小早川氏、池田氏の時代に城域が拡張された。外観五重、内部6階の天守は、黒漆塗りの下見板の外観から烏城(うじょう)とも呼ばれる。明治時代に御殿、櫓(やぐら)、門の大半が取り壊された。この時、天守は残されたが、第二次世界大戦の空襲で消失。現在の天守は1966年(昭和41)に外観復元されたもの。本丸は烏城公園となり、月見櫓、石垣、内堀の一部が現存している。そのほか西の丸の遺構なども数多く残っている。JR山陽新幹線岡山駅から路面電車8分で城下下車、徒歩10分。◇金烏城(きんうじょう)ともいう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡山城
おかやまじょう

石山城」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡山城
おかやまじょう

南北朝期から江戸期の城。岡山市北区丸の内にあり、旭(あさひ)川の湾曲部の高地を本丸とし、三重の濠(ほり)を巡らした後堅固(うしろけんご)の縄張りの平城(ひらじろ)である。正平(しょうへい)年間(1346~70)に上神高直によって築かれた石山城というのが初めという。1570年(元亀1)宇喜多直家(うきたなおいえ)が金光宗高(かなみつむねたか)を謀殺して城を奪い、1573年(天正1)に入城増築し、さらにその子秀家(ひでいえ)は豊臣(とよとみ)秀吉の養子となり備前(びぜん)57万石を領し、城もそれにふさわしい大改修が施された。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで秀家は城と所領を没収され、かわって小早川秀秋(こばやかわひであき)が城主となったが、秀秋が病没したため、1603年(慶長8)池田輝政(てるまさ)の二男忠継(ただつぐ)が28万石で入封し、以来池田氏の一族が世襲した。第二次世界大戦の戦災で焼失した天守閣は黒塗りの下見板張りで「烏城(うじょう)」とよばれ、1966年(昭和41)復興された。[小和田哲男]

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