出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
南北朝期から江戸期の城。岡山市北区丸の内にあり、旭(あさひ)川の湾曲部の高地を本丸とし、三重の濠(ほり)を巡らした後堅固(うしろけんご)の縄張りの平城(ひらじろ)である。正平(しょうへい)年間(1346~70)に上神高直によって築かれた石山城というのが初めという。1570年(元亀1)宇喜多直家(うきたなおいえ)が金光宗高(かなみつむねたか)を謀殺して城を奪い、1573年(天正1)に入城増築し、さらにその子秀家(ひでいえ)は豊臣(とよとみ)秀吉の養子となり備前(びぜん)57万石を領し、城もそれにふさわしい大改修が施された。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで秀家は城と所領を没収され、かわって小早川秀秋(こばやかわひであき)が城主となったが、秀秋が病没したため、1603年(慶長8)池田輝政(てるまさ)の二男忠継(ただつぐ)が28万石で入封し、以来池田氏の一族が世襲した。第二次世界大戦の戦災で焼失した天守閣は黒塗りの下見板張りで「烏城(うじょう)」とよばれ、1966年(昭和41)復興された。
[小和田哲男]
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