(榊原悟)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸末期の復古大和絵(やまとえ)派の中心画家。狩野(かのう)永泰の子として京狩野の正系に生まれる。名は晋三。冷泉(れいぜい)三郎を自称し、宮廷趣味に徹し、蔵人所衆(くろうどどころしゅう)岡田家の養子となり、のちに近江守(おうみのかみ)従(じゅ)五位下となる。形式化した狩野派の画風から離れ、京都周辺の豊かな大和絵の遺品から古来の画法を独力で研究する。また復古大和絵派の浮田一蕙(いっけい)に学ぶ。早熟でエネルギッシュな作画活動を行い、また『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』や知恩院の『法然上人絵伝(ほうねんしょうにんえでん)』48巻をはじめさまざまなジャンルの古画を精力的に模写している。有職(ゆうそく)故実などの知識や古典的な教養も深い。しかし模写活動に専心するあまり勤皇方とも幕府方とも接触したために、双方より疑惑を買い紀州(和歌山県)粉河寺(こかわでら)に逃れ出家したが、ついに大和で斬殺(ざんさつ)された。京都小御所の襖絵(ふすまえ)(1855)、岡崎市大樹寺(だいじゅじ)の障壁画(1856)など多くの遺品が残されている。
[加藤悦子]
幕末に活躍した復古大和絵派の画家。京狩野の画家狩野永泰の子で京で生まれた。若年から画才を発揮したが狩野の画風になじまず,《源頼朝像》などの肖像画や仏画,《法然上人絵伝》《春日権現霊験記》をはじめとする古典絵巻の膨大な模写を行って,やまと絵の技法表現を学んだ。冷泉(れいぜい)や菅原姓を名のり朝廷の官位に執着した為恭は,有職故実にも通じ生活全般にわたって尚古趣味が強い。佐幕派と誤解され大和丹波で勤王の浪士に斬殺された。代表作に大樹寺の障屛画《円融院天皇子日御遊図》などがある。
執筆者:鈴木 廣之
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…江戸後期から幕末に活躍した田中訥言(とつげん)とその門人浮田一蕙,渡辺清(1778‐1861),訥言に私淑した岡田為恭(ためちか)らの画家を指していう。大和絵の原典に接してその模写を精力的に行い,土佐派,住吉派ら既存の大和絵流派にとらわれず,源流をさかのぼって古典に規範を求め,活力ある大和絵の創造を試みたことに特色がある。…
※「岡田為恭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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