江戸後期から幕末に活躍した田中訥言(とつげん)とその門人浮田一蕙,渡辺清(1778-1861),訥言に私淑した岡田為恭(ためちか)らの画家を指していう。大和絵の原典に接してその模写を精力的に行い,土佐派,住吉派ら既存の大和絵流派にとらわれず,源流をさかのぼって古典に規範を求め,活力ある大和絵の創造を試みたことに特色がある。古典に対する研究的姿勢は,国学・復古思想に基づく社会的潮流が画壇に反映した側面をもつ。一蕙が攘夷運動に加わったことも特筆される。為恭が平安時代の障子絵を想像復元(大樹寺襖絵)するなど,古典に対する知的興味の先行も指摘できるが,《古今著聞集》などに取材した新しい主題をつくった積極面が評価される。明治期の菊池容斎(ようさい),小堀鞆音(ともと)(1864-1931),吉川霊華(きつかわれいか)(1875-1929),松岡映丘(えいきゆう)(1881-1938)らの歴史画の先駆となった。
→やまと絵
執筆者:鈴木 廣之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸後期、古典大和絵の復興を目ざして生まれた画派。江戸初期に宮廷や幕府の御用絵師として、大和絵の正統的な後継者となった土佐派や住吉(すみよし)派は、その地位に安住して形式主義に陥り、中期を過ぎるころには生新な創造力を失ってしまう。このような大和絵の衰微を鋭敏に感じた意欲的な画家たちは、王朝的美意識を真剣に求めて平安・鎌倉時代の大和絵を研究し、その近世的な復興を試みる作画活動を行った。田中訥言(とつげん)に始まるこの革新的な運動は、幕末の勤王思想と結び付いて支持者を得、訥言の門人浮田(うきた)一蕙(いっけい)や渡辺清、あるいは岡田(冷泉(れいぜい))為恭(ためちか)らによって推進された。
[加藤悦子]
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