精選版 日本国語大辞典 「岡野知十」の意味・読み・例文・類語 おかの‐ちじゅう【岡野知十】 俳人。本名敬胤。「秋声会」の創立に参加。のち脱退して「半面」を発刊。俳句はあくまでも趣味にとどめるべきだとし、正岡子規と対立。句集に「鶯日」がある。安政七~昭和七年(一八六〇‐一九三二) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「岡野知十」の解説 岡野 知十オカノ チジュウ 明治〜昭和期の俳人 生年安政7年2月19日(1860年) 没年昭和7(1932)年8月13日 出生地北海道日高国様似 本名岡野 敬胤 別名通称=正之助,別号=正味 経歴函館毎日新聞に入社し、上京後「毎日新聞」に発表した「俳諧風聞記」で俳壇に登場する。明治33年「俳諧 すずめ」を刊行し、34年「半面」を創刊。俳句の史的研究をし、多くの俳書を収集、その蔵書は東大図書館に知十文庫として収められている。著書に明治33年刊行の「晋其角」をはじめ「俳趣と画趣」「蕪村その他」など多くあり、没後の昭和8年句集「〓日」が、9年に小唄集「味余」が刊行された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡野知十」の意味・わかりやすい解説 岡野知十おかのちじゅう(1860―1932) 俳人。北海道日高に生まれる。本名敬胤。1895年(明治28)『毎日新聞』に『俳諧(はいかい)風聞記』を発表、当時の俳壇を新派の子規派をはじめ尾崎紅葉(こうよう)らの新派、また伝統旧派までを広く見渡しながら興趣深く語る。角田竹冷(つのだちくれい)の「秋声会」に加わったが1901年(明治34)『半面』を創刊、新々派と称し半面派を形成した。主情的唯美的な句風に特色がある。句集『鶯日』(1933)。[伊澤元美] うつくしき心こぼれて桜の実『村山古郷著『明治俳壇史』(1978・角川書店)』 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡野知十」の解説 岡野知十 おかの-ちじゅう 1860-1932 明治-昭和時代前期の俳人。安政7年2月19日生まれ。明治28年「大阪毎日新聞」に「俳諧(はいかい)風聞記」を発表して注目される。秋声会にはいったが脱会。34年「半面」を創刊し,新々派と称した。昭和7年8月13日死去。73歳。蝦夷(えぞ)地(北海道)出身。本名は敬胤。別号に正味。著作に「雨華抱一」,校訂に「也有全集」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「岡野知十」の解説 岡野 知十 (おかの ちじゅう) 生年月日:1860年2月19日明治時代-昭和時代の俳人1932年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by