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島津源蔵 しまづげんぞう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

島津源蔵
しまづげんぞう

[生]明治2(1869).6.17. 京都
[没]1951.10.3. 京都
発明家,実業家。幼名を梅治郎といい,父源蔵 (1839~94) の跡を継いで島津製作所社長となる。各種の理化学実験器具を発明したが,特に鉛蓄電池の品質向上と価格低下をはかり,1919年機械的方法による亜酸化鉛粉末製造に成功。

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世界大百科事典 第2版の解説

しまづげんぞう【島津源蔵】

1869‐1951(明治2‐昭和26)
蓄電池の発明家。島津製作所長および日本電池(株)の創業経営者。幼名梅治郎。京都木屋町二条の生れ。この地で1875年に島津製作所をおこした父,初代源蔵(1839‐94)につき理化学器械製造の家業を手伝いつつ,独学で理化学を学び,84年物理実験用誘導起電機を完成,理科教育の場に新風を吹きこみ,87年には父の後任として京都師範学校金工科教師を兼ねた。94年工場経営をつぎ,精力的に研究開発活動を展開,96年レントゲン写真撮影に先鞭をつけ,また産業用大型蓄電池の工業的製造に着目して1917年日本電池を分離独立させ,20年世界的に知られる易反応性鉛粉製造法を発明した。

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大辞林 第三版の解説

しまづげんぞう【島津源蔵】

1869~1951) 発明家・実業家。京都生まれ。父初代源蔵を継いで家業(島津製作所)を発展させるとともに国産蓄電池の工業的生産に成功して日本電池(株)を創業。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

島津源蔵
しまづげんぞう
(1869―1951)

発明家。島津製作所2代目社長、日本電池会社(現、GSユアサ)の創業者。明治2年、京都木屋町二条の鍛冶(かじ)職、初代源蔵(1839―1894)の長男に生まれる。幼名は梅治郎。
 父は発明の才があり、1875年(明治8)島津製作所をおこした。学校教育用の理化学器械の製作・修理を手がけ、1877年には第1回内国勧業博覧会に出品したほか、1878年軽気球を製作して京都御所でその浮揚に成功した。時の京都府知事槇村正直(まきむらまさなお)(1834―1896)が河原町二条に舎密局(せいみきょく)を設立し、ワグネルを招いて理化学教育や化学技術の積極的な導入・普及を企てると、その指導を仰ぎ、第2回内国勧業博覧会に蒸留器、マクデブルク半球などを出品して受賞、理化学器械の本格的な製作を開始した。
 梅治郎は小学校を2年でやめ、家業を手伝いながら独学で理化学の実力を身につけた。1884年日本最初の感応起電機(静電発電機)を製作、今日の静電気実験の基礎を築いた。また1887年からは京都府師範学校の金属手工科教員となり、小学校教員学力検定試験委員にも任じられた。1894年父が死ぬと源蔵を襲名して島津製作所主となり、弟の源吉、常三郎とともに経営にあたる。1917年(大正6)に蓄電池部門を独立させて日本電池を設立し、同時に製作所を株式会社とした。正規の学校教育は受けなかったが理論的であり、実地の経験と優れた着想から多くの技術開発を成し遂げた。1896年にいち早くレントゲン写真撮影に取り組んだのもその一つである。産業用大形据置き蓄電池の電極のための「易反応性鉛粉製造法」の発明(1920)は日本だけでなく世界に広く認められて、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどでも特許をとり、1920年代の技術輸出の花形となった。1930年(昭和5)には日本十大発明家の一人に選ばれ、昭和26年、82歳で没した。島津製作所『改組40年記念誌』(1957)は「最後まで科学する心を失うことなく、晩年病床にあっても2件の発明をしたほか、衝突球の物理実験を楽しむのに余念がなかった」と伝えている。[飯田賢一]
『井上五郎著『日本科学の勝利・発明王島津源蔵』(1939・富士書房) ▽飯田賢一著『技術思想の先駆者たち』(1977・東洋経済新報社)』

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世界大百科事典内の島津源蔵の言及

【精密機械工業】より

… 日本における精密機械工業の歴史は明治に入ってから始まった。計測器では1875年,初代島津源蔵(1839‐94)が京都に理化学器械を製造する個人会社を創業したのに始まる。同社は1917年島津製作所と改称し,今日に至っている。…

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