島津源蔵(読み)しまづげんぞう

精選版 日本国語大辞典 「島津源蔵」の意味・読み・例文・類語

しまづ‐げんぞう【島津源蔵】

  1. 発明家実業家。京都出身。幼名梅治郎。父初代源蔵の島津製作所を受け継ぎ、実験用誘導起電機、レントゲン装置、G・S蓄電池などを製造。大正六年(一九一七)日本電波会社を創立。特に蓄電池の易反応性鉛粉製造法は世界的に有名。明治二~昭和二六年(一八六九‐一九五一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「島津源蔵」の意味・わかりやすい解説

島津源蔵
しまづげんぞう
(1869―1951)

発明家。島津製作所初代社長、日本電池会社(現、GSユアサ)の創業者。明治2年、京都木屋町二条の鍛冶(かじ)職、初代源蔵(1839―1894)の長男に生まれる。幼名は梅治郎。

 父は発明の才があり、1875年(明治8)島津製作所をおこした。学校教育用の理化学器械の製作・修理を手がけ、1877年には第1回内国勧業博覧会に出品したほか、1878年軽気球を製作して京都御所でその浮揚に成功した。時の京都府知事槇村正直(まきむらまさなお)が河原町二条に舎密局(せいみきょく)を設立し、ワグネルを招いて理化学教育や化学技術の積極的な導入・普及を企てると、その指導を仰ぎ、第2回内国勧業博覧会に蒸留器マクデブルク半球などを出品して受賞、理化学器械の本格的な製作を開始した。

 梅治郎は小学校を2年でやめ、家業を手伝いながら独学で理化学の実力を身につけた。1884年日本最初の感応起電機(静電発電機)を製作、今日の静電気実験の基礎を築いた。また1887年からは京都府師範学校の金属手工科教員となり、小学校教員学力検定試験委員にも任じられた。1894年父が死ぬと源蔵を襲名して島津製作所主となり、弟の源吉、常三郎とともに経営にあたる。1917年(大正6)に蓄電池部門を独立させて日本電池を設立し、同時に製作所を株式会社とした。正規の学校教育は受けなかったが理論的であり、実地の経験と優れた着想から多くの技術開発を成し遂げた。1896年にいち早くレントゲン写真撮影に取り組んだのもその一つである。産業用大形据置き蓄電池の電極のための「易反応性鉛粉製造法」の発明(1920)は日本だけでなく世界に広く認められて、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどでも特許をとり、1920年代の技術輸出の花形となった。1930年(昭和5)には日本十大発明家の一人に選ばれ、昭和26年、82歳で没した。島津製作所『改組40年記念誌』(1957)は「最後まで科学する心を失うことなく、晩年病床にあっても2件の発明をしたほか、衝突球の物理実験を楽しむのに余念がなかった」と伝えている。

[飯田賢一]

『井上五郎著『日本科学の勝利・発明王島津源蔵』(1939・富士書房)』『飯田賢一著『技術思想の先駆者たち』(1977・東洋経済新報社)』


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朝日日本歴史人物事典 「島津源蔵」の解説

島津源蔵(初代)

没年:明治27.12.8(1894)
生年:天保10.5.15(1839.6.25)
明治時代の実業家。島津製作所の創立者。仏具職人清兵衛の次男として京都に生まれる。家業に従事したのち,独立して明治8(1875)年3月京都木屋町二条で理化学器械製造を開業。京都舎密局のドイツ人技師ワグナーやオランダ人薬学士ヘールツから西洋の科学技術に関して指導を受ける。京都府知事槙村正直の依頼により水素ガス軽気球を製作,11年5月京都御所御苑内にて勧業博覧会の呼びものとして人を乗せたその飛揚に成功。14年第2回内国勧業博覧会に蒸溜器,排気機,マグデブルグ半球など各種機器を出品,蒸溜器について有功2等賞を受賞。15年にはわが国における最初の理化学器械カタログともいうべき「理化器械目録表」を発刊,巻末に「御好次第何品ニテモ製造仕候也」と記した。19年7月『理化学的工芸雑誌』を創刊,理化学会を設けて公開実験,分析依頼に応じるなど科学技術の振興,普及に努め,同年9月からは京都師範学校(京都教育大)金工科の指導を嘱託され教職に就く。17年に15歳でウイムシャースト式感応起電機を完成させるなど,若くして発明の才を発揮した長男梅治郎(1869~1951)が初代の死後2代源蔵を襲名,所主となる。<参考文献>『島津製作所史』『科学とともに100年―島津製作所の歩み』

(沢井実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「島津源蔵」の解説

島津 源蔵(2代目)
シマヅ ゲンゾウ

明治〜昭和期の実業家,発明家 島津製作所初代社長。



生年
明治2年6月17日(1869年)

没年
昭和26(1951)年10月3日

出生地
福岡県

出身地
京都府

本名
島津 梅治郎

主な受賞名〔年〕
帝国発明協会特別賞〔昭和3年〕「島津式感応起電機の発明」

経歴
京都で教育用理化学器械を製造する父・初代源蔵の下で、少年時代から発明の才を発揮。明治11年父と協力、日本最初の軽気球掲揚に成功した。27年父の死後、事業を継ぎ、大正6年島津製作所社長。9年蓄電池のための易反応性鉛粉製造法を完成、国産蓄電機の工業的生産に成功した。昭和3年発明協会特別賞を受け、5年日本十大発明家の一人として表彰された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「島津源蔵」の意味・わかりやすい解説

島津源蔵 (しまづげんぞう)
生没年:1869-1951(明治2-昭和26)

蓄電池の発明家。島津製作所長および日本電池(株)の創業経営者。幼名梅治郎。京都木屋町二条の生れ。この地で1875年に島津製作所をおこした父,初代源蔵(1839-94)につき理化学器械製造の家業を手伝いつつ,独学で理化学を学び,84年物理実験用誘導起電機を完成,理科教育の場に新風を吹きこみ,87年には父の後任として京都師範学校金工科教師を兼ねた。94年工場経営をつぎ,精力的に研究開発活動を展開,96年レントゲン写真撮影に先鞭をつけ,また産業用大型蓄電池の工業的製造に着目して1917年日本電池を分離独立させ,20年世界的に知られる易反応性鉛粉製造法を発明した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「島津源蔵」の意味・わかりやすい解説

島津源蔵
しまづげんぞう

[生]天保10(1839).5.15. 京都
[没]1894.12.8.
島津製作所創業者。仏具の三具足を製造する清兵衛の次男として生まれる。安政3(1856)年型紙商人の養子となるがのち実家に戻る。万延1(1860)年に分家し,鋳物職人として独立。1870年頃京都に開設された舎密局(せいみきょく)に出入りし,舶来の技術や機器にふれながら,外国人技師・薬学士らから理化学分野の機械に関する知識・技術を学ぶ。1875年,京都木屋町に島津製作所を創業,教育向け理化学機器の製造販売を行なう。以降,小学校など諸教育機関の発展にともない事業を拡大させる。1877年,人を乗せた軽気球を 36mの高さまで飛揚することに成功した。1882年,110点の物理器械などを載せた製品カタログ『理化器目録表』を発行。(→島津源蔵

島津源蔵
しまづげんぞう

[生]明治2(1869).6.17. 京都
[没]1951.10.3. 京都
発明家,実業家。幼名を梅治郎といい,小学校中退後,家業に従事するかたわら独学で理化学を学ぶ。1894年父島津源蔵の死後源蔵を襲名,跡を継いで島津製作所所長となる。1917年島津製作所を改組し,初代社長となった。各種の理化学実験器具を発明したが,特に鉛蓄電池の品質向上と価格低下をはかった。1920年機械的方法による易反応性鉛粉製造法の開発に成功。これは従来の化学的製法で 149時間もかかる工程を 5時間に短縮,燃料費も節約できる画期的なものであった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島津源蔵」の解説

島津源蔵(初代) しまづ-げんぞう

1839-1894 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)10年5月15日生まれ。明治8年島津製作所を設立。京都舎密(セイミ)局にまねかれたワグネルら外国人技師の指導をうけ,教育用理化学機器を製造し,事業を拡大させる。11年人をのせた軽気球の浮揚に成功したほか,内国勧業博覧会へ各種機器を出品。「理化学的工芸雑誌」を創刊し,科学知識の普及につくした。明治27年12月8日死去。56歳。京都出身。

島津源蔵(2代) しまづ-げんぞう

1869-1951 明治-昭和時代の実業家。
明治2年6月17日生まれ。初代島津源蔵の長男。小学校を2年で中退し,父の理化学機器製造を手伝う。明治17年わが国初の感応起電機を開発。父の死後,島津製作所をつぐ。国産蓄電池の製作にのりだし,大正6年日本電池を設立。X線装置の商品化などで,昭和5年日本十大発明家のひとりにえらばれた。昭和26年10月3日死去。82歳。京都出身。幼名は梅治郎。

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367日誕生日大事典 「島津源蔵」の解説

島津 源蔵(2代目) (しまづ げんぞう)

生年月日:1869年6月17日
明治時代-昭和時代の発明家;実業家。島津製作所社長
1951年没

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世界大百科事典(旧版)内の島津源蔵の言及

【精密機械工業】より

… 日本における精密機械工業の歴史は明治に入ってから始まった。計測器では1875年,初代島津源蔵(1839‐94)が京都に理化学器械を製造する個人会社を創業したのに始まる。同社は1917年島津製作所と改称し,今日に至っている。…

※「島津源蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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