精選版 日本国語大辞典 「崔述」の意味・読み・例文・類語
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中国、清(しん)朝中期の学者。字(あざな)は武承(ぶしょう)、号は東壁(とうへき)。河北省大名の人。1762年の挙人。父の元森(げんしん)から朱子学を受け、56歳のとき羅源(らげん)県の知県となって治績があったが、6年後、官を辞めて古史研究に専念し、77歳で没した。早くから古代の伝承と史実との間の違いに疑いを抱き、伝注の権威を否定し、「徴実」と「考信」を標榜(ひょうぼう)して、厳しい資料批判に基づく独自の学風を確立した。この学風は近代に至り胡適(こてき)、顧頡剛(こけつごう)らの注目するところとなり、いわゆる疑古派の学者たちに大きな影響を及ぼした。代表作に『豊鎬(ほうこう)考信録』『洙泗(しゅし)考信録』『孟子(もうし)事実録』『読風偶識』などがあるが、それらは門人の陳履和(ちんりわ)(1761―1825)の編した『崔東壁遺書』に収められている。なお、同書は日本でも那珂通世(なかみちよ)校点の史学会刊本(1903)があり、明治の史学界に方法論上で少なからぬ刺激を与えたものとされている。
[村山吉廣 2016年3月18日]
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…〈徴(証拠)無くんば信ぜず〉という考証学の原則をつきつめていくと,その根底にある儒教的理念を自ら疑う結果となる。崔述(1740‐1816)の《考信録》は儒家の一部の経典に依拠して他の経書および諸子百家に史料批判を加えた。清末の政治改革家康有為は,崔述に一歩を進めて,儒家経典に記載する黄帝・尭舜・夏殷周三代の歴史は事実そのものでなく,孔子がその理想世界を述べるためのフィクションであったと主張した(《孔子改制考》)。…
※「崔述」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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