日本歴史地名大系 「川口番所跡」の解説
川口番所跡
かわぐちばんしよあと
米子湊に出入りする船舶等の監視のために
川口番所跡
かわぐちばんしよあと
位置は不明であるが、寛政年間(一七八九―一八〇一)の御城下絵図に後の新川口御番所脇に「守屋敷」があるので、
当初、由利からの北国道は
川口番所跡
かわぐちばんしよあと
江戸時代、福江藩が設置した番所。寛文四年(一六六四)川口番所掟(律令採要)を触れ、船の出入りは手形を入念に確認し、異状があれば家老に連絡することと定め、他領への売出しを禁じる物として松・杉・楠・欅・栗木・漆木などの林産物、焼物土石・薬石などの鉱産物、島雉子・島鴨・巣鷹などのほか於胡などの海産物をあげている。同八年改めて自他領の品々の流出入について当勤番に二〇ヵ条を示し、異国船発見の際の注進、旅船入港の折の往来手形、富江領の船の改、福江城下の商船の検査などの規定を設けた(律令採要)。川口番所では詰所の上ノ間に番人、下ノ間に口銭取りや船見が詰め、当番の藩士二人は出入船の日録をつけ目付に報告した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報