川瀬巴水(読み)かわせはすい

共同通信ニュース用語解説 「川瀬巴水」の解説

川瀬巴水

川瀬巴水かわせ・はすい 本名川瀬文治郎ぶんじろう。1883年、現在の東京都港区で糸組物職人の長男として生まれる。画家を志し、1910年に近代日本画の巨匠鏑木清方かぶらき・きよかた入門、「巴水」の雅号を与えられる。その後、版元渡辺庄三郎わたなべ・しょうざぶろうの下で絵師として、彫師摺師すりしと協同で木版画制作に従事。全国を旅して風景画約700作品を残し、旅情詩人とも呼ばれた。「芝増上寺」や「馬込の月」を描いた「東京二十景」などが代表作。57年、胃がんのため74歳で死去

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20世紀日本人名事典 「川瀬巴水」の解説

川瀬 巴水
カワセ ハスイ

大正・昭和期の版画



生年
明治16(1883)年5月18日

没年
昭和32(1957)年11月7日

出生地
東京・芝

本名
川瀬 文治郎

経歴
日本画を鏑木清方に、洋画岡田三郎助に学び、日本画家となったが、大正7年伊東深水の木版画にひかれ、新版画を唱える渡辺庄三郎の下で版画制作を始めた。以後風景版画一筋に全国を行脚し、処女作「塩原おかね路」から絶筆「平泉金色堂」まで500種以上の作品発表している。独自の叙情性を持つ風景版画は早くから欧米でも評価され、伊東深水、橋口五葉、吉田博などとともに新版画運動の代表的な作家の一人に数えられる。昭和28年文化財保護委員会から伝統的木版技術記録の保持者に選ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川瀬巴水」の意味・わかりやすい解説

川瀬巴水
かわせはすい
(1883―1957)

版画家。東京に生まれる。本名文治郎。初め川端玉章(ぎょくしょう)門下の青柳墨川に、ついで荒木寛友に、さらに白馬会洋画研究所に入ったのち、鏑木清方(かぶらききよかた)に師事した。巴水という号は清方の命名による。1918年(大正7)渡辺木版画店より版画の処女作を出して以来、日本各地を写生し、大正・昭和を通じて風景版画を制作した。この時代はまた創作版画運動の興隆期でもあったが、巴水は、伝統的な浮世絵版画の叙情的世界に、自然に肉薄する近代人の視点を導入することにより、独自の世界を展開した。

[玉蟲玲子]

『楢崎宗重解説『川瀬巴水木版画集』(1979・毎日新聞社)』


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川瀬巴水」の解説

川瀬巴水 かわせ-はすい

1883-1957 大正-昭和時代の版画家。
明治16年5月18日生まれ。青柳墨川(ぼくせん),荒木寛友に日本画を,さらに白馬会葵橋(あおいばし)洋画研究所で洋画もまなぶ。のち鏑木清方(かぶらき-きよかた)に師事。大正7年渡辺版画店から初の版画3点を出版。「旅みやげ」「日本風景選集」などの風景版画を制作した。昭和32年11月7日死去。74歳。東京出身。本名は文治郎。

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367日誕生日大事典 「川瀬巴水」の解説

川瀬 巴水 (かわせ はすい)

生年月日:1883年5月18日
大正時代;昭和時代の版画家
1957年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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