左思(読み)さし

日本大百科全書(ニッポニカ)「左思」の解説

左思
さし
(250?―305?)

中国、西晋(せいしん)の文人。字(あざな)は太冲(たいちゅう)。斉(せい)国臨淄(りんし)(山東省臨淄県)の出身。家柄低く容貌(ようぼう)醜かったため文学に精力を傾ける。妹芬(ふん)が武帝の貴嬪(きひん)となったため都の洛陽(らくよう)に移る。ここで10年の歳月を費やして「三都(さんと)の賦(ふ)」をつくる。時の名士たちがその序や注釈をつくって賞揚したため、上流社会は競って伝写した。そのために洛陽の紙価が高騰したという。この賦は漢の班固(はんこ)の「両都の賦」、張衡(ちょうこう)の「西京の賦」「東京の賦」「南都の賦」と同じく、主客の問答に託して蜀(しょく)、(ご)、(ぎ)の都の壮観を誇示したもの。は「詠史」8首、「招隠(しょういん)」2首が優れている。『左思集』5巻があった。『晋書』巻92に伝がある。

[小尾郊一]

『小尾郊一著『全釈漢文大系26 文選1』(1974・集英社)』『花房英樹著『全釈漢文大系28 文選3』(1974・集英社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「左思」の解説

左思
さし
Zuo Si

[生]嘉平2(250)?
[]永興2(305)?
中国,西晋の詩人。臨 淄 (りんし。山東省益都県) の人。字,太沖。家柄が低く,非社交的な性格から,官途につかず文学に励んだ。三国時代の魏,呉,蜀の首都を詠じた『三都賦』を 10年かけて完成。これが張華陸機などに激賞されて大評判となり,洛陽では争って筆写されたため「洛陽の紙価を高からしめた」という。詩は現実主義的な作風で,当時流行した老荘的な傾向をもちつつ,力強い風格があり,詩人としても太康期を代表する一人である。『詠史詩』『招隠詩』などの作品が有名。『左太沖集』 (1巻) がある。

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精選版 日本国語大辞典「左思」の解説

さ‐し【左思】

中国、の詩人。字(あざな)は太沖。山東臨淄(りんし)の人。詩にすぐれ、壮麗な文を書いた。遅筆で「斉都賦」を一年がかりで作り、「三都賦」は一〇年も想を練ったというが、人々は競ってその作を求め、「洛陽の紙価を高からしめる」の故事を生んだ。(二五〇頃‐三〇五頃

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デジタル大辞泉「左思」の解説

さ‐し【左思】

[250ころ~305ころ]中国、西晋の文人。臨淄りんし(山東省)の人。あざな太沖たいちゅう。構想10年で書きあげた「三都賦」の人気が洛陽の紙価を高めた故事で知られる。詩では詠史詩にすぐれる。

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世界大百科事典 第2版「左思」の解説

さし【左思 Zuŏ Sī】

250?‐305?
中国,晋の詩人。字は太沖。臨淄(りんし)(山東省)の人。下級士族の出で,門閥制度の厳しい当時にあっては栄達の道を閉ざされていたため,蟄居(ちつきよ)して文筆活動に励んだ。10年の歳月を注いだ大作〈三都の賦〉は,魏・呉・蜀三国の首都の繁華のさまを写実的に描く美文で〈洛陽の紙価を高める〉ということばが生まれるほど人々に読まれた。歴史に材を借りて現実社会を批判した〈詠史詩〉8首も著名。【興膳

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世界大百科事典内の左思の言及

【詠史詩】より

…王粲,曹植の詩は,ともに春秋秦の穆公(ぼくこう)に殉死した3人の忠臣の話をうたっている。この種の詩は歴史に借りて時事を風刺することが多く,3世紀末晋の左思の〈詠史詩〉8首はその典型といえる。彼は多くの史上の人物のイメージを通して,当時の厳しい門閥貴族制に対する憤懣を吐露している。…

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