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左袒 サタン

デジタル大辞泉の解説

さ‐たん【左×袒】

[名](スル)《「袒」は衣を脱いで肩をあらわにする意で、中国、前漢の功臣周勃(しゅうぼつ)呂氏(りょし)の乱を鎮定しようとした際、呂氏に味方する者は右せよ、劉氏(りゅうし)に味方する者は左袒せよ、と軍中に申し渡したところ全軍が左袒したという「史記」呂后本紀の故事から》味方すること。
「何としても上方の者に―する気にならぬ」〈福沢福翁自伝
[補説]「左担」と書くのは誤り。

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大辞林 第三版の解説

さたん【左袒】

( 名 ) スル
〔「史記呂后本紀」にある、前漢の周勃しゆうぼつが呂氏の乱を平らげようとしたとき、呂氏につくものは右袒し(右肩を脱ぎ)、朝廷に味方するものは左袒せよ(左肩を脱げ)と言ったところ、皆左袒したという故事から〕
味方すること。 「管仲蘇張に-して孔孟を擯斥するに非ず/文明論之概略 諭吉

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

左袒
さたん

左の肩を肌脱ぎにすること、転じて、賛意を表すことや味方になることをいう。袒は着物を肌脱ぎにする意。中国、漢の高祖劉邦(りゅうほう)の死後、后(きさき)の諸呂(しょりょ)が権力をほしいままにし、その一族を王として漢の天下を奪おうとしたため、太尉周勃(しゅうぼつ)が丞相(じょうしょう)陳平と謀って、軍に「呂氏のためにする者は右袒せよ、劉氏のためにする者は左袒せよ」と令したところ、全軍左袒したと伝える、『史記』「呂后紀」の故事による。左袒、右袒に特別の根拠はなく、右袒を賛意の表現とした例もある。[田所義行]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の左袒の言及

【肩】より

…ここで左肩をはだけるのは悲しみの姿態である。一方,中国では左肩を脱ぐことを袒(たん)または左袒といい,吉事にも凶事にも行ったが,前漢の将軍周勃が呂氏一族の乱を鎮めようとしたとき,軍中に令して呂氏のためにする者は右袒し,劉氏のためにする者は左袒せよと言ったところ,全軍皆左袒した(《十八史略》)ことから,それは味方することを意味するようになった。また,謝罪のため右肩をあらわにすることを肉袒という。…

※「左袒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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