左袒(読み)さたん

故事成語を知る辞典「左袒」の解説

左袒

味方することや、賛成することのたとえ。

[使用例] 人たるは常に同位同等の趣意を忘るべからず。〈〉右は百姓町人に左して思うさまにを張れと云う議論なれども[福沢諭吉学問のすすめ|1872~76]

[由来] 「史記りょこう紀」に描かれたエピソードから。紀元前二世紀、前漢王朝を樹立したりゅうほう死後皇后の呂氏の一族実権を握り、天下を奪おうとしました。劉氏を守ろうと考えたしゅうぼつは、呂后が亡くなったのをきっかけに、巧みに軍隊の指揮権を掌握。兵士たちに向かって、「呂氏の為にする者は右袒せよ、劉氏の為にする者は左袒せよ(呂氏に味方する者は右のを肌脱ぎにせよ、劉氏に味方する者は左の肩を肌脱ぎにせよ)」と呼びかけたところ、全員が左袒しました。彼らの活躍によって呂氏の一族は滅ぼされ、前漢王朝は無事に存続することになったのでした。

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精選版 日本国語大辞典「左袒」の解説

さ‐たん【左袒】

〘名〙
① (「袒」は着物をはだぬぎにする) 左の肩をはだぬぎにすること。
※業鏡台(1394‐1428頃)送在先上人帰尾之松山序「為言者左袒、為行者右袒、則吾不已而左袒焉耳」 〔儀礼‐士喪礼〕
② (中国、前漢の功臣周勃(しゅうぼつ)が呂氏(りょし)を討とうとした時、呂氏につく者は右袒せよ、劉氏(りゅうし)につく者は左袒せよといったところ、軍中すべて左袒したという「史記‐呂后本紀」の故事から) 味方すること。同意して肩をもつこと。賛成すること。
※童子問(1707)中「吾未必左袒河汾永康、竊服其忠厚云」
※授業編(1783)六「所謂七子輩を初めすべて李王に左袒(さタン)せしほどの人」

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日本大百科全書(ニッポニカ)「左袒」の解説

左袒
さたん

左の肩を肌脱ぎにすること、転じて、賛意を表すことや味方になることをいう。袒は着物を肌脱ぎにする意。中国、漢の高祖劉邦(りゅうほう)の死後、后(きさき)の諸呂(しょりょ)が権力をほしいままにし、その一族を王として漢の天下を奪おうとしたため、太尉周勃(しゅうぼつ)が丞相(じょうしょう)陳平と謀って、軍に「呂氏のためにする者は右袒せよ、劉氏のためにする者は左袒せよ」と令したところ、全軍左袒したと伝える、『史記』「呂后紀」の故事による。左袒、右袒に特別の根拠はなく、右袒を賛意の表現とした例もある。

[田所義行]

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デジタル大辞泉「左袒」の解説

さ‐たん【左×袒】

[名](スル)《「袒」はを脱いで肩をあらわにする意で、中国、前漢の功臣周勃しゅうぼつ呂氏りょしの乱鎮定しようとした際、呂氏に味方する者は右袒せよ、劉氏りゅうしに味方する者は左袒せよ、と軍中に申し渡したところ全軍が左袒したという「史記」呂后本紀の故事から》味方すること。
「何としても上方の者に—する気にならぬ」〈福沢福翁自伝
[補説]「左担」と書くのは誤り。

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普及版 字通「左袒」の解説

【左袒】さたん

左の片はだを脱ぐ。また、同意する。〔史記、文帝紀〕夫(そ)れ呂太后の嚴を以て、呂を立てて三王と爲し、(せんけん)專制す。然れども太尉、一(王の偽節)を以て北軍に入り、一呼して士皆左袒し、劉氏を爲(たす)け呂にき、卒(つひ)に以て之れを滅ぼす。

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世界大百科事典内の左袒の言及

【肩】より

…ここで左肩をはだけるのは悲しみの姿態である。一方,中国では左肩を脱ぐことを袒(たん)または左袒といい,吉事にも凶事にも行ったが,前漢の将軍周勃が呂氏一族の乱を鎮めようとしたとき,軍中に令して呂氏のためにする者は右袒し,劉氏のためにする者は左袒せよと言ったところ,全軍皆左袒した(《十八史略》)ことから,それは味方することを意味するようになった。また,謝罪のため右肩をあらわにすることを肉袒という。…

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