改訂新版 世界大百科事典 「太尉」の意味・わかりやすい解説
太尉 (たいい)
Tài wèi
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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大尉とも書く。前漢初期の最高武官。武官を尉といい,郡尉,県尉は郡県の最高武官をいう。秦代は国尉といったが,前漢には国家の最高位の武官を太尉といった。太は大と同じ意味。丞相(じょうしょう)(行政),御史大夫(ぎょしたいふ)(監察)と並ぶ中央の高官。周勃(しゅうぼつ),周亜夫(しゅうあふ)父子が,それぞれ呂氏(りょし)の乱や呉楚(ごそ)七国の乱を鎮定した太尉として知られる。前漢武帝以降は大司馬(だいしば)あるいは大司馬将軍と改められた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…衛尉が南軍,中尉執金吾が北軍を統轄)と地方軍(郡国の都尉が統率)と辺防軍(国境守備隊)とがあった。秦の軍政長官は太尉,漢では大将軍。前漢では徴兵制をとり成人男子を正卒として徴発し,約30年の在役中,1年は禁衛軍(約5万人),1年は出身地の郡の警備隊に勤務,他の期間は在郷兵として都試(軍事訓練)を受けつつ本業に従事した。…
…それは単なる戦術家をこえて,より広い視野から駆引きのできる政治家的資質を要求する。 戦国時代に芽生えた官僚制が秦・漢時代に最初の完成形態に達すると,漢の高祖が,戦場を馳駆(ちく)して百戦百勝の戦果をあげた韓信よりも,後方にいて物資の調達輸送を円滑に行い,後顧の憂いなからしめた蕭何(しようか)を帝国創建の第一の功臣と評価したような方向に進み,国軍総司令としての司馬または太尉は,最高の文官である丞相または司徒の下位に順序づけられる。この傾向は武帝による儒教の国教化によっていっそう明確となり,関羽,張飛のような武将が活躍した次の六朝400年の分裂時代にも,文官官僚層はついに武士階級の形成を許さず,文官優位の方向は,次の科挙制の時代に入って進士の重視が定着した結果,さらに決定的となった。…
※「太尉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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