元禄(げんろく)時代(1688~1704)の京都に古義堂(こぎどう)塾を開いて古義学を唱えた儒学者伊藤仁斎(じんさい)晩年の著書である。『語孟字義(ごもうじぎ)』『論語古義』『孟子(もうし)古義』『大学定本』『中庸発揮(ちゅうようはっき)』のような仁斎の経書研究の成果と異なり、儒学やその研究法ないしは道徳や政治について思うところを紙片に1条ずつ記し蓄え、のちにテーマ別に整理したもので、すでに1691年(元禄4)に宋(そう)の欧陽修(おうようしゅう)の易の『童子問』などに倣って、『童子問』と題した自筆稿本を残している。その後、仁斎は終生、増改訂し続けたが、その間、1699年には江州(ごうしゅう)水口(みなくち)の鳥井侯の城中で、また喜寿を迎えた1703、04年には古義堂でこの書を講じている。仁斎没後、1707年(宝永4)に長男の東涯(とうがい)は189条を3巻3冊に分けて板行し、また『童子問標釈』を著した(『童子問』の稿本は現在、天理図書館や但馬(たじま)鎌田家に襲蔵されている)。
壮年時代の著『語孟字義』を完成期の仁斎学の出発点とすれば、この書はその到達点を示すものであり、「この二著で仁斎一生の学問がわかる」と、『文会雑記(ぶんかいざっき)』に記されている。
[石田一良]
『石田一良「『童子問』の成立過程――特に新発見の鎌田家本の位置について」(『ビブリア』10所収・1959・天理図書館)』▽『石田一良著『伊藤仁斎』(1960・吉川弘文館)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
伊藤仁斎(じんさい)が晩年に著した仁斎学の集大成。3巻。1693年(元禄6)の識語。仁斎死後の1707年(宝永4)子の東涯(とうがい)らが編集・刊行。門人の質疑に答え,孔孟の正伝を明かす体裁をとる。「論語」の最上性,「論語」「孟子」の一貫性,道の卑近さや仁愛の強調,道徳と議論の逆比例関係,道徳論と治道の別,礼楽(れいがく)制度の相対主義的把握,王道論,学問方法論,宋明諸儒や歴代史書の批評,経典論などからなる。欧陽修「易童子問」などの体裁から影響をうけている。「岩波文庫」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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