市河三喜(読み)いちかわさんき

精選版 日本国語大辞典 「市河三喜」の意味・読み・例文・類語

いちかわ‐さんき【市河三喜】

英語学者東京生まれ。東京大学教授。日本の英語学の基礎を築く。主著「英文法研究」、また「英語学辞典」の編纂などがある。明治一九~昭和四五年(一八八六‐一九七〇

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デジタル大辞泉 「市河三喜」の意味・読み・例文・類語

いちかわ‐さんき〔いちかは‐〕【市河三喜】

[1886~1970]英語学者。東京の生まれ。東大教授。日本の英語研究の基礎を作った。著「英文法研究」、編「英語学辞典」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「市河三喜」の意味・わかりやすい解説

市河三喜
いちかわさんき
(1886―1970)

英語学者。江戸後期の儒者で漢詩人の市河寛斎(かんさい)の曽孫(そうそん)、また、書家市河米庵(べいあん)の孫。東京に生まれる。東京帝国大学文科大学言語学科教師ローレンスJohn Lawrence(1850―1916)の指導を受け、卒業論文『forの歴史的発達』(1909)は学界の注目を集めた。1920年(大正9)東京帝国大学英文科の日本人初の教授となり、多くの学者を育て、日本英文学会の初代会長になるなど、英語英文学界の中心であった。『英文法研究』(1912)は日本の英語学を初めて学問的基盤に据えた画期的著作であり、『英語学辞典』(1940)は英語学界の指針となった。退官後は、創立から関係した語学教育研究所(現在は一般財団法人)の運営にあたり、学士院会員(1939)、文化功労者(1959)となった。チョウや植物の採集でも一家をなした。

[上野景福 2018年10月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「市河三喜」の意味・わかりやすい解説

市河三喜 (いちかわさんき)
生没年:1886-1970(明治19-昭和45)

英語学者。東京の下谷生れ。1909年東京帝国大学文科大学言語学科卒業。イギリス留学。20-46年東大教授。日本英学界の第一人者。実証的研究が中心である《英文法研究》(1912)で,日本の英語学の基礎を初めて築くとともに,英語教育普及と改善に努力した。編著《英語学辞典》(1940)は,まだ歴史の浅い英語学において,体系的な知識の宝庫となり,現在なおその価値を失っていない。著作多数。また随筆達人としても知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市河三喜」の意味・わかりやすい解説

市河三喜
いちかわさんき

[生]1886.2.18. 東京,下谷
[没]1970.3.14. 東京,世田谷
英語学者。 1909年東京帝国大学言語学科卒業。 1912年出版の『英文法研究』で日本における英語学を確立したとされる。 1920年"On the Language of the Poetry of Robert Browning"で学位を取得。 30年間,東京帝国大学英語英文学科主任教授として指導にあたる。『英文学叢書』 (1921~26) ,『英語学辞典』 (1940) ,『世界言語概説』 (上巻,1952,高津春繁と共著,下巻,1955,服部四郎と共著) その他多数の刊行物の編集,監修にあたり,日本の英語学の先導者として多大の貢献をした。 1939年帝国学士院会員,1959年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市河三喜」の解説

市河三喜 いちかわ-さんき

1886-1970 大正-昭和時代の英語学者。
明治19年2月18日生まれ。市河万庵の次男。英米に留学し,大正9年日本人ではじめて母校東京帝大の英文科教授となる。英語学研究の基礎をきずき,日本英文学会をつくるなど英語英文学界の発展に指導的役割をはたした。34年文化功労者。昭和45年3月17日死去。84歳。東京出身。編著に「英文法研究」「英語学辞典」など。

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