市河米庵(読み)いちかわ

デジタル大辞泉の解説

いちかわ‐べいあん〔いちかは‐〕【市河米庵】

[1779~1858]江戸後期の書家。江戸の人。名は三亥(みつい)。字(あざな)は孔陽、小春寛斎長子。中国、宋の米芾(べいふつ)の書を学び、米庵と号した。門弟貴人が多く、その書風は大流行したが、没後には急激に廃れた。幕末の三筆の一人。

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百科事典マイペディアの解説

市河米庵【いちかわべいあん】

江戸時代の書家。巻菱湖,貫名海屋とともに幕末三筆の一人。江戸の人。名は三亥。父寛斎〔1749-1820〕や柴野栗山儒学を学び,前田家に仕えた。米【ふつ】(べいふつ)や顔真卿(がんしんけい)を学び,また長崎で明・清の書に影響を受け,格調の正しい書を目ざした。英語学者市河三喜〔1886-1970〕はその孫。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

市河米庵 いちかわ-べいあん

1779-1858 江戸時代後期の書家。
安永8年9月6日生まれ。父市河寛斎や林述斎,柴野栗山(りつざん)に儒学と書をまなぶ。宋(そう)の米芾(べい-ふつ)などの中国の書も研究。父の跡をついで富山藩,金沢藩につかえ,書塾小山林堂をひらいて門人5000人余を擁した。幕末の三筆のひとり。安政5年7月18日死去。80歳。江戸出身。名は三亥(みつい)。字(あざな)は孔陽。別号に楽斎など。著作に「米家書訣」「米庵墨談」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

いちかわべいあん【市河米庵】

1779‐1858(安永8‐安政5)
江戸末期の書家。儒者市河寛斎の長男として江戸京橋に生まれる。名は三亥(みつい)。字は孔陽。幼時より父の薫育をうけ,林述斎,柴野栗山について儒学,詩文を学ぶ。書は初め持明院流を習ったが,心はおのずから唐様書道に傾き,宋の米芾(べいふつ)を慕い,来舶清人の胡兆新に書法を学んだ。晋・唐を宗とし,さらに明・清の集帖や江戸期舶載の真跡を重んじ,ついに唐様崇拝の理想を大成し,巻菱湖(まきりようこ),貫名海屋(ぬきなかいおく)と並んで〈幕末三筆〉と称される。

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大辞林 第三版の解説

いちかわべいあん【市河米庵】

1779~1858) 江戸後期の書家。寛斎の子。宋の米芾べいふつの書論を基に米庵流を確立。巻菱湖まきりようこ・貫名海屋ぬきなかいおくとともに幕末の三筆と称される。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

市河米庵
いちかわべいあん

[生]安永8(1779).江戸
[没]安政5(1858).7.18. 江戸
江戸時代末期の書家,儒学者。名は三亥,字は孔陽。通称小左衛門。号は米庵,楽斎など。儒者寛斎の子。儒学を父や林述斎,柴野栗山に学ぶ。書は長崎で清の胡兆新に師事,また米 芾 (べいふつ) ,顔真卿に私淑。前田侯に仕えて名声を博し,門人は 5000人に及んだ。巻菱湖 (まきりょうこ) ,貫名海屋 (ぬきなかいおく) とともに幕末の三筆。詩にも長じ詩集8巻がある。画跡,文具,金石の収集家としても有名。著書『清三家書論』『米家書訣』『米庵墨談』など。主要作品『朶雲帖 (だうんじょう) 』『試毫帖』『皇国州名歌』『三体千字文』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

市河米庵
いちかわべいあん
(1779―1858)

江戸末期の書家。江戸の人。儒者市河寛斎(かんさい)の子。名を三亥(さんがい)、字(あざな)を孔陽(こうよう)また小春といい、米庵はその号。楽斎、金洞山人などの別号もある。幼時より父の薫育を受け、林述斎(はやしじゅっさい)や柴野栗山(しばのりつざん)から朱子学と書を学び、とくに書は、中国宋(そう)代の米(べいふつ)に傾倒した。25歳のときに長崎へ旅行し、清(しん)人胡兆新(こちょうしん)から直接に書法を受け、しだいに筆力旺盛(おうせい)な米庵流を創始してゆく。父没後、加賀藩に招かれてから、その書名はますます高くなり、晩年には大名、町人、僧侶(そうりょ)など5000人もの門下を擁したという。後世、巻菱湖(まきりょうこ)、貫名海屋(ぬきなかいおく)とともに、「幕末の三筆」とうたわれた。扁額(へんがく)、長幅、横幅などの形状別に書式を示した『略可法』をはじめ、漢籍のなかから揮毫(きごう)に適した語句、詩編を抜粋した『墨場必携(ぼくじょうひっけい)』など、今日においても有益な著書を残している。[久保木彰一]

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367日誕生日大事典の解説

市河米庵 (いちかわべいあん)

生年月日:1779年9月6日
江戸時代後期の書家
1858年没

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精選版 日本国語大辞典の解説

いちかわ‐べいあん【市河米庵】

江戸後期の書家、儒者。江戸の人。寛斎の子。名は三亥(みつい)。宋の米元章、唐の顔真卿などの書法を学んだ。幕末三筆の一人。安永八~安政五年(一七七九‐一八五八

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世界大百科事典内の市河米庵の言及

【三筆】より

…諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。また巻菱湖(まきりようこ),市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))の3人を〈幕末の三筆〉という。三蹟【栗原 治夫】。…

【書】より

… 幕末には明の文芸的な文化として文人趣味が流行し,書画をよくし作詩の教養を重んじる,池大雅,皆川淇園,与謝蕪村,頼山陽などの文人書家が知られる。このころ書のみで一家をなした市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)・巻菱湖(まきりようこ)は〈幕末の三筆〉と呼ばれる。この3人は晋・唐の書法を基礎として学問的研究を進めたが,米庵はとくに宋の米芾(べいふつ)に傾倒し,書論等も著し,その著《墨場必携》は揮毫用の範例を示したものとして今日にまで重宝されている。…

【筆】より

…元禄期の唐様書家細井広沢(こうたく)は《思貽斎管城二譜(しいさいかんじようにふ)》を著し,所蔵の唐筆や自己の体験をもとに製筆法を説き,唐様の無心筆を考案した。 幕末の市河米庵(べいあん)も蔵筆200余枝の図録《米庵蔵筆譜》(1834)をはじめ,《米庵墨談》正・続,《小山林堂書画文房図録》などを刊行し,文房具に関する研究を深めた。製墨で有名な奈良の古梅園が京都に店を出し,薬物薫香を業とした鳩居堂が,筆の販売にも携わるようになった。…

※「市河米庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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